今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

それを受け入れないことで、自分は一体何を証明しようとしているのだろうか?

(写真:生命大進化展 その4)

■対立

人間二人いれば、必ずどこかで意見が対立します。
何しろ、好いて惚れて一緒になった夫婦ですら、しょっちゅうぶつかっています。
ましてや、他人の集まりの会社なら、もっと激しく対立するでしょう。
私は時折「社内にいるより、社外の方が楽だなあ」と思うことがあります。
「またあ、そう言って会社の外でサボッているんだろ?」
→断じて違います。
社内は社員同士の距離が近いため、お互いに要求する頻度が高く、またそれぞれ抱えた思いも違うため、高い割合で調整が必要になります。
いくら距離が近くても、人間も違えば、当然担っている責任も違う、大切にしていることも異なります。
たとえば、総務は社員のコンプライアンス遵守を第一に考えるので、いろいろなルールで縛りたがり、また、私たち現場のものは仕事の効率を第一に考えるので、細かいルールを嫌います。
そこに対立を生むのですが、社外の場合は、お客さんとの関係だけです。その関係は、お互い会社の生き死にをかけていますからシビアなものになります。しかし、反面、費用対効果に論点が絞られ、そこに集中できるので、まだ楽なところがあります。

■お互い大切にしているもの

ならば、なぜお互い家庭や会社のことを思っているもの同士、対立を生んでしまうのか。
それは、物事にはいろんな側面があり、どこにスポットを当てるかで、見え方がガラリと変わるからです。
たとえば家族なら、生活の維持と、家族同士のふれあいの二面性を持ちます。
そして、それらはどちらもとても大切ですし、一方がかけても家族の維持はできません。
しかし、お父さんは、まずは生活費を稼ぐことを第一に、仕事を優先します。それに対して、家庭の団欒を大切にしたいお母さんは、仕事ばかりで家族を顧みないお父さんに不満があります。
どちらも大切で、また家族の幸せを願う心は一つなのに、視点の違いで、どうしても対立を生んでしまいます。
また会社では、未来に渡って長く存続することと、当面の運転資金を獲得することの、どちらも大切です。
営業さんが頑張って毎月の運転資金を稼いでくれるので、会社は安定して経営を続けることができます。さらに、その過程で築いた信用でもっと大きな取引ができるようになります。そして、大きな取引をする会社には、大きな取引をするなりの体裁が必要です。
それで、総務部はコンプライアンスを重視して社内のルールを整備するのですが、営業さんにはそれが窮屈でたまらない。
そこに、対立を生むのです。
これら目指している方向は一致していても、担っている立場で大切なものが異なっているので衝突をするのです。

■相手を受け入れる

家庭や、会社を思っているもの同士、相手の思いを組むことは大切ですね。
奥さんなら、
「どうして、うちの主人は、何かと言うと仕事、仕事と出て行ってしまうのだろう。」
→仕事一途に頑張ってくれるから、今の生活が維持できるんだわ。仕事人間の主人も、月曜日には、なんだか辛そうな顔をしているし、本当は行きたくないのかも。でも、家族と過ごしたい思いを振り切って、出社してくれる主人に感謝しなければ。
ご主人なら、
「どうしてうちの妻は、家庭、家庭と言うのだろう。せめて、うちにいる時くらいノンビリとさせて貰いたいのに。」
→自分がいない間、家庭と子供の責任を全部持たされて、もう、パンクしそうなんだろうな。しかも、主婦は、休みも休憩もなく、24時間365日間勤務だし、少しはいたわらなければ。
〜・〜
自分、自分で、我が身にかまけている時に気がつかなかったことが、相手の立場に立って初めて見えるようになります。
ただ、それが分かっても素直に頭を下げるのは、なかなか勇気が要ります。
人間には意地や我慢がありますから。
「這っても黒豆」と言われます。
二人の人が、目の前の黒い粒を、「黒豆だ」「いや虫だ」と言い争っていました。
そのうち、ゴソゴソと黒い粒が動き始めたのです。
それを見て、「どうだ、虫じゃないか」と自慢げな相手に、もう一方が「這おうが何だろうが、黒豆だ」と言いはったそうです。

■それを受け入れないことで、自分は一体何を証明しようとしているのだろうか?

人間は、誰でも自分には甘く、また自分は正しいと思いたいものです。
理屈で間違っていても、都合でそれを受け入れられない。時に、人に迷惑をかけて怒られたのに、注意した人を逆恨みし、逆切れをする。
電車で注意されたことに腹を立て、相手に暴力を振るった挙句、殺害してしまったと言う痛ましい事件までありました。
正しいことを言われても、いや、正しいことだから、なお一層、言った相手に腹が立ちます。特に、後輩や気にくわない相手から言われたら、瞬間的に頭に血が上ってとんでもないことを言いそうです。
しかし、相手が言っていることが正しいことなら、改むるに躊躇うことなかれです。
素直に受け入れたら、自分も正されますし、また、勇気をだして意見してくれた相手も安心できます。また、下の人からの意見でも素直に受け入れる度量を、回りは評価するでしょう。
ならば、反対に受け入れなかったら、どうなるでしょうか。
おそらく、相手は嫌気が差してもう言わなくなります。そうしたら、もう聞きたくないことを聞かなくて済むので、一時的には満足します。
しかし、正されなかった自分には何も得るものがなく、また度量の狭い人間として周りから評価を下げます。

対立は、人間ならば必ずあります。
しかし、相手の立場に立てば、ほとんどのことは理解できます。
それでも、どうしても受け入れられないことがある時つぶやくのが、この言葉です。
「それを受け入れないことで、自分は一体何を証明しよう(手に入れよう)としているのだろうか?」
受け入れないことで、何も得るものが無いと分かれば、そこは自分の心に逆らってでも、頭を下げる勇気が必要です。
心したいことです。