今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

成功に、裕福も貧乏もない、自分を偽らず、思い通りの毎日を過ごせているかどうかだけである

(写真:生命大進化展 その3)

■比べて喜べる幸せ

「ステータス」と言う言葉があります。
人より優れた役職について、人より多く収入があり、人より立派な車に乗って、人より大きな家に住んでいる状態を言います。
例えば、お金持ちのガレージにある高級な外車を見ると、「いつか、こんな車に乗れるようになりたい」と気持ちが掻き立てられます。
それは、「頑張って自分もステータスを上げよう」と言うモチベーションになるので、決して否定するものではありません。
むしろ、それで後輩たちに夢を示していければ、どんなに良いことか。
ただ忘れてはならないのは、ステータスとは、人と比べて初めて喜べる幸せだと言うことです。
つまり、自分よりステータスの低い人を見て優越感に浸るのが、喜びの源泉なのです。
逆に言えば、自分より上の人がいれば、我が身が小さく思えて、卑屈にすらなります。
つまり、それ自体が幸せなのではなく、人と比べて初めて喜べる幸せ、相対的幸せです。
例えば、京大生は学内では、それが当たり前なので、あまり喜びを感じないでしょう。しかし、他大学の学生の前では、羨望の眼差しで見られて、すっかり優越感で満足できます。反対に、東大生ばかりの中に入ったら、気持ちがへこんでしまうかも知れません。

■成功の基準

つまり、この幸せとは量が問題です。
女優さんなら、デビューしたての頃は、どんな地方局ででも、CMの仕事が入れば嬉しかった。そのうち人気に火がついて、ゴールデンの、しかも大企業のコマーシャルの仕事が舞い込むようになる。
上り調子なので、気分は高揚し、毎日が夢気分。やがて、「CM女王」と周りから持ち上げられて頂点を極めます。
しかし、それからが喜びが苦しみに変わるプロセスの始まりです。
世間は常に新鮮さを求めるので、いつもCMで見慣れた人より、今までいなかった新しい女優に関心が向きます。だから、すぐにトップを脅かす存在が現れるのです。
それでも拮抗しながら、辛うじてCM女王の座を守りますが、それもしばらく。
だんだん、本数で負けるようになり、また、すぐに大きく差をつけられてしまいます。
頂点を極めたが故に、そこから転落するのはたいへんな苦しみです。まだまだ私は恵まれている、十分通用すると慰めても、やり場のない口惜しさは自分では何ともできません。
そして、ある程度落ちきった時、周りに作り上げられた虚像でない、等身大の自分を受け入れて、初めて気持ちが落ち着くのです。
さて、幸せの量は目まぐるしく変化しましたが、果たしてどの状態が一番幸せなのでしょうか。
そう考えると、幸せとか、あるいはその幸せをもたらす成功の基準は、まことに難しいですね。

■思い通りの毎日

このように、成功や幸せは、量で決まらないことが言えます。
「成功に、裕福も貧乏もない、自分を偽らず、思い通りの毎日を過ごせているかどうかだけである。」
前段の例ならば、幸せの量を自分でコントロールできず、周りの評価で浮いたり沈んだりしているうちはむしろ不幸で、等身大の自分を受け入れて、幸せを制御をできるようになって、初めてそれを実感できます。
つまり、幸せとは、量の多い少ないではないのです。量が多過ぎても幸せにはなれません。
まるで「自分たちが自分でなくなったようだ」と嘆いた、かつてのビートルズのように。彼らは、解散して本当に自分の音楽を始めた時、初めて好きな音楽で成功している喜びを実感できたのかも知れません。
つまり、幸せは自分の手の内でコントロールできてこそ、喜びを実感できます。
しかし、私たちは幸せの量にばかり引きずられて、その本質を見失いがちです。そして、周りの評価に反して、内に葛藤を抱えます。
それでも、手にした幸せの量を数えては、「これを維持するには仕方ないか」と無理やり納得させるのです。

■一生幸せ

時おり、引用する言葉があります。
「1日幸せでいたかったら、床屋に行け。
1週間幸せでいたかったら、靴を買え。
1ヶ月幸せでいたかったら、結婚をしろ。
1年間幸せでいたかったら、家を建てろ。
一生幸せでいたかったら、正直であることだ。」
投入するものの量と内容に応じて、私たちの幸せな期間は変化します。
床屋なら1日、靴なら1週間、永遠を誓ったはずの結婚でも1ヶ月間しか続きません。
だからでしょうか。
「不倫は文化」とまで言って、取っ替え引っ替え、パートナーを変える人がいたのは。
そうして、幸せな期間を少しでも継続しようとしていたのかも知れませんね。
ですが、いつまでも浮名を流せる男はいませんから、結局最後は不満ながら妥協していくのでしょう。
あるいは、人生最大の買い物の家ですら、わずか1年しか幸せにしてくれないのはショックです。一生ものと思うから、30年もローンを組んで、後は支払いの人生を送っているのに・・・。
ならば、一生続く幸せとは何でしょう。
その答えが「正直であること」です。
これは、もちろん人に嘘をつかないことです。
でも、自分に嘘をつかないことでもあります。
本当は欲しくないのに、人が持っていると言う理由で欲しがる。
本当はやりたくないのに、周りがやることを期待するから、やる。
このように自分を欺くのは、不正直です。
自分に正直に、本当に価値のあることだけをする。人がこぞってやっていても、あるいは周りから求められても、自分にとって意味のないことはしない。
虚勢のために身体を張らない。
人をがっかりさせたくないと言う理由で、無理に合わせない。
確かに、そう生きられたら素晴らしいと思いますが、現実は正直に生きているより、自分を騙して生きている時間の方が遥かに長いと思います。
でも、いつか正直に生きざるを得ない年齢に到達するかも知れません。たとえば、人生に「余生」と言う言葉を使い始めたら、意に染まない生き方をするのが馬鹿らしくなります。
そして、人生の終盤であっても、そこにたどり着ければ、それはそれで成功した人生ではないでしょうか。