今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

10を伝える

(写真:生命大進化展 その1)

■10を伝えるには

「10を伝えるには、その10倍を知っていなければならない。」と教えられます。
例えば、今の日本の経済を語ろうと思えば、最近の政府の発表だけを喋っていたら恥をかきます。
この間、仲間内で、今度の消費増税の話題で盛り上がりました。
「果たして、10パーセントの消費増税は妥当か、否か。」
まず、消費者の気分としては、10パーセントどころか、8パーセントも、5パーセントも嫌ですね。
しかし、それ以上に嫌なのは、販売する側でしょう。なぜなら、消費者はお金を使うのが嫌なら財布の紐を締めればよく、また質を落として低価格品に変えれば良いのですが、そのしわ寄せは売り上げ減として販売業者に行くからです。
ひいては、全体的な景気後退となり、さらに消費者離れを防ぎたい業者は増税分価格を下げるので、一層デフレに拍車がかかります。
国民にとって、少しも良いことはないのに、なぜここで消費増税を実行するのでしょう。
それには、苦しい国の懐事情があります。
長引く不況と税収の減少。
さらに輪をかけて少子高齢社会の急進。
お金はたくさんいるのに、お金が入らない。
そして、国庫は借金まみれ。
だから、「皆んな少し生活のレベルを落として、公共の生活を守ろうよ」となります。
そして、消費増税は嫌だけど、皆んな仕方ないと諦めムードです。
と、ここまでは10の知識の範囲でしょう。
しかし、その奥には、もっと根深い問題が複雑に絡んでいます。

■10倍の研鑽

おそらく、その根の深さは、私たちが認識できる10倍では効かないでしょう。
そもそも、何故国にお金がないのか。
不景気で税収不足のためか。
→なら、一層景気の悪化に拍車をかける増税はマズイですね。
はたまた、少子化で働き手がいないためか。
→そこから、「一億層活躍社会」と言うスローガンが飛び出すのでしょうが、「働かざるもの食うべからず社会」に聞こえるのは私だけでしょうか。
ODA等の外国支援のためか。
→確かに、今でも日本は途上国からお金持ちの国として、多額の援助を期待されています。
あるいは、行き過ぎた福祉行政のためか。
→生活保護受給者は年々増加していますが、本当に必要な人にだけお金が渡っているか、疑問視する声が上がっています。反対に必要な人に支援が行き渡っていない現状も指摘されています。
あるいは、公務員、議員に対する待遇は適切か。道路行政は、そこまでする必要があるのか。
→立派な会館や庁舎、何兆規模の道路ができるたび、意外にお金はあるところにはあるもんだな、と感心します。
原子力行政を推進して、多額のお金で日本中に原発を建設する。そうしたら、それが爆発を起こして、今度は撒き散らされた放射能の除染や、原発の廃炉にまた莫大なお金がかかる。
いや、そもそも人間同士が殺し合いをしなければ、軍事費など使わなくて良いのではないか。その分、誰か困っている人を支援したら、どれだけ住み良い世の中になるか。
等々。
少し考えても、こんなにいろんな問題が絡んでいるので、安易に消費増税は是だとか、非だとか言えません。
だから、是でも非でもなく、要は仕方がないとあきらめるのです。
そして、もし、そこをキチンと議論しようと思えば、実にその10倍以上の知識が必要になります。

■おっちょこちょい

でも、私などは、おちょこちょいなので、ついつい知っていることをそのまま口にして恥をかきます。
と、言うか、この投稿自体が既にそうなってますが・・・。
たとえば、「消費増税は、庶民の暮らしを圧迫するからやめた方がいいんじゃない。」と言うと、よく知っている友達は、「でも、生活必需品は、8パーセントに据え置かれるんだろ?」と言います。
「なら、あまり庶民の暮らしに影響はないんじゃないか?」
そこに、また別の友達が口を挟みます。
「だが、そうすると、いわゆる贅沢品は売れなくなるだろ?家とか、車とか、あっても、無くても良いもんには、自然と財布の紐は締まるじゃないか。そうするとメーカーが困るし、あとその下請けの何10万という企業も影響を受けるわけだよ。だから、日本経済に対する影響は大きいよな。ますます税収が下がって、2パーセントくらい上げても意味ないんじゃないか?」
そこで、我が意を得たりと、自分も加わります。
「そうだろ。だから、やめるべきなんだ。」
対して、反撃の火蓋が切られます。
「いや、そうしたら、増大する社会保障費はどうする?他人事じゃないぜ、一番困るのは俺ら世代だろ?今は、国の借金でなんとか回しているけど、いつまでも、そんな状態は続くはずがないし、国の格付けが下がって外国から見放されたらギリシャの二の舞だぜ。」
ところが、もっと物知りがいて、
「いやいや、国の借金と言うけど、誰から借りているか知っているのか?外国や、あるいは日本国民は殆ど国債を所有していないんだぜ。じゃあ、誰が債権を持っているかと言えば、それが日銀なんだ。日銀からの借金は、利子もつかない、返還請求もない。ましてや、対外債権や国有資産まで考えれば、国のバランスシートは完全に黒字なんだ。
なのに、景気減速のリスクまでおかして何故、増税するんだ。」
・・・と、完全に置き去りです。
ああ、恥ずかしい。

■100へのステップ

少しかじっては、おっちょこちょいが嬉しそうに口にする。
でも前段のように、たちまち突っ込まれて赤恥をかきます。
だから、「物言えば唇寒し秋の暮れ」とか「雄弁は銀なり、沈黙は金なり」と言われるのでしょう。
これら言葉の作者は、余程、不用意な発言を突っ込まれて痛い目にあったのでしょうね。
しかし、おっちょこちょいにも、良いことがあるんですよ。
それは、ひどく恥をかけば、自分なりに考えるようになるからです。
からもう、不用意なことは喋らないぞ!」とか、いや「なかなか、おっちょこちょいを治すのは骨が折れるので、むしろ突っ込まれても良いようにキチンと勉強しよう!」とか。
むしろ、後の方が良いですね。
おっちょこちょいで恥をかいても、それを縁に知識を深められたら、それに越したことはありません。
そして、本当に知識が深まったら、自ずと喋り方が変わります。
100の知識を得たら、10の知識の時には見えなかった問題の複雑さが、よく見えるようになります。そうしたら、いきなり100を喋ったり、たとえ10でも不用意なことを言えば相手が混乱することが分かります。
そこから、100の中から10を選りすぐって伝えるようになるのです。
つまり、これが正しい10の伝え方です。
なかなか知識のない分野で、そこまで知識を深めるのは大変ですが、まずは人に迷惑をかけない範囲で、とりあえず喋ってみる。結果恥をかきますが、それも100への一つのステップでしょう。