今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

後生

(写真:パープル・クラウド その2)

■フランダースの犬

昔、日曜日よる7時半から放送していたカルピス名作劇場。
「アルプスの少女ハイジ」や「母をたずねて三千里」など、今も語り継がれる名作アニメを放映していました。
その前が、永井豪のロボットアニメタイムと言うこともあり、多くの子供たちがそのままテレビの前に釘付けだったでしょう。
さて、その数ある名作劇場のアニメの中で、未だに最終回の終わり方に納得がいかないのが「フランダースの犬」です。
悲しい最終回のアニメ特集で、必ず上位に食い込むアレです。
物語は、おじいさんと二人、貧しいながらも健気に生きる少年ネロが主人公です。そして、いつもそのネロの傍らに愛犬パトラッシュが寄り添っています。
ネロはとても根が正直で優しい子どもなのですが、貧しさ故に大人たちから酷い扱いを受けます。やがて、おじいさんが病気になり、ネロ一人で村人の為に乳運びの仕事をして、生活費を稼がねばならなくなりました。
しかし、街から来た商人が乳運びの仕事を始めたため、ネロの収入は激減。家賃も払えなくなり、住んでいた家から追い出されそうになります。悪いことは重なり、たった一人の身内のおじいさんも亡くなってしまいました。
しかし、健気なネロは誰を恨む訳でもなく、いつか画家になりたいと言う彼の夢を灯りに頑張るのでした。

■ネロの夢

彼には願いがありました。
村の大聖堂には、有名なルーベンスの絵がかけられていました。しかし、その絵を見るためには高い拝観料を払わねばなりません。しかし、貧乏なネロにはとても払える金額ではありませんでした。しかし、いつかお金を貯めて、ルーベンスを見たいと言うのが彼の夢でした。
さて、収入の道が閉ざされ、家賃を払えなくなったネロに、家から出て行くように家主が迫ります。ネロは「絵のコンクールで必ず一等を取りますから、それまで待ってください」と懇願します。絵のコンクールで一等を取れば、たいへんな額の賞金が毎年貰えたのです。
そして、すべてをかけて臨んだ絵画コンクール、しかし、一等は他の少年のものでした。
唯一の望みも絶たれ、さらに水車小屋に放火したと疑いをかけられたネロは、家を追い出されます。そして、行く当てもなくパトラッシュと彷徨うのです。
道には雪がしんしんと降り積もっていました。
ふと見ると、そこに財布が落ちています。そして、財布の中にはたいへんなお金が入っていました。
それは、日頃ネロをひどく扱っていた男の持ち物でした。ネロは、そのお金をそのまま自分のものにもできたのに、正直に財布を持ち主の家まで届けにいきました。

■ネロの最後

財布の持ち主の家、それはネロと仲の良い幼馴染みの家でもありました。
幼馴染みの少女と、貧しいネロが仲良くするのを好まず、男はネロをひどく扱っていたのでした。
財布を届けた時、彼は家にはいませんでしたが、かわりに彼の妻と、幼馴染みの娘がネロを迎えてくれました。
財布を正直に届けたネロに、親娘は心から感謝し、食事をしていくことを勧めます。しかし、ネロは愛犬パトラッシュを二人に託して、一人また雪の中に飛び出して行きました。
財布を散々探し回っても見つからず、青ざめて男が帰宅してみると、なんと思いもかけず、財布が届けられていました。そして、届けたのがネロと知った彼は今までの仕打ちを深く後悔し、ネロを引き取ることを決意します。
また、絵画コンクールには落選したネロでしたが、審査員の一人がネロの才能を認め、自分のもとで勉強させたいと申し出ます。
しかし、そんなことはつゆ知らず、ネロは暗澹たる気持ちで雪の中を彷徨います。
やがて辿りついたのは、村の大聖堂でした。
あれほど一目見たいと乞い願ったルーベンスの絵のかけられた大聖堂で、ついにネロは力尽きます。しかし、絵は厚い覆いに隠されて見ることはできません。
そこへ、後を追ってきたパトラッシュが、倒れたネロに寄り添います。
「ああ、パトラッシュ、僕はなんだか疲れてしまったよ。もう眠くてたまらないんだ。」
力尽きたネロに死期が迫ります。
その時、さっと光が聖堂に差し込み、厚い覆いの中のルーベンスの絵を浮かび上がらせたのです。
「パトラッシュ、見えるよ、ルーベンスの絵が見えるんだ。」
それを最後にネロとパトラッシュは冷たくなっていったのです。

■後生

なんてこと!と思いました。
子供からすれば、最後なんとかハッピーエンドで終わるだろうと思うから、毎週見ていたのです。
どんなになじられても、謗られても、最終回では大逆転が待っている・・・はずが、いびり倒されて、そのまま死んでしまうなんて。
日本中のどれだけ多くの子どもがショックを受けたでしょう。中にはトラウマになった子どももいたはずです。
実際アメリカでは、余りのバッドエンドに眉をひそめ、原作を無視してハッピーエンドにした作品が多くありました。
なのに、原作を忠実に映像化した日本のスタッフは、ある意味すごいですね。
しかし、それではあまりに酷いと思ってか、番組の最後では、息絶えたネロとパトラッシュを天使たちが迎えに来ます。
そして、「もう、これからは、天国で寒い思いも、辛い思いもしなくて良いのです。」と締めていました。
なるほど、これも一つのハッピーエンドか。
しかし、やはり子ども心にも、このオチは納得いきませんでした。
どんなに苦しくても、辛くても、死んで天国に行けたら全部チャラ。ならば、それまでのネロの頑張りはなんだったんでしょうか。全部、無駄だったんでしょうか。
でも、この違和感の本当の原因は別の所にあったのです。
それは、ネロは死んで天国に行ったことになっていますが、誰もそれを保証できないからです。ネロが天国に行ったのは、あくまで人間の願望。本当は、もっと暗く厳しい世界が待っているかも知れません。
また自分自身、どうしても死んだ後の世界に明るいイメージを持つことはできませんでした。
もっと言えば、これは私たちが死に向きあった時に起こる感情の本質です。
どんな世界が待っているか分からない。そこに、たった一人、自分の身体すら道連れに出来ず行かねばなりません。
そして、この死んだ後の世界を後生と言います。後に生まれる世と言う意味です。
私の住んでいる三河には、「後生願い」と言う言葉があります。
この世どんなに思うままでも、長くて僅か80〜100年、一息切れて必ず行かなければならない後生がはっきりしなくては、今から安心して生きられない。
反対に、先が明るくなれば、今から人生は明るく楽しく変わります。
だから三河の先達は、「後生願いは生きている時から、死んだ後のことを言う」と周りから揶揄されても、後生大事を旨と生き抜いたのです。
このように、子ども向けのアニメのワンシーンですが、なかなか問題の根は深いのです。