今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

命を価値に使うのが一流

(写真:パープル・クラウド その1)

■命と言う財産

私たちは、日々いろんなものを消費して生きています。
自分では、とても生み出せないもの、たとえば、お米とか、味噌とか。
また、それを調理するための電気や、ガス、水道に至るまで、誰かが用意してくれて、居ながらにして手にすることができます。
それは、お金を出せば、なんでも手に入る世界を人間が作り出したからです。
とかく、不幸のもとのようにやり玉に上がるお金ですが、その恩恵を受けて快適に生きていけるのは間違いありません。
私たちは、手持ちのお金を払って、私たちが生きて行くのに必要なものを手に入れています。だから、お金は一番大切。
間違いありません。
しかし、そのお金はどのようにして手に入れているのでしょうか。
→それは、アルバイトをしたり、会社で働いたり、才覚のある人は事業を起こしたり、そうやって労働の対価として受け取っている。
仰る通りです。
労働の対価としてお金を受け取っています。
では、その労働の対価とはなんでしょうか?
→それは、一定時間会社に拘束されて、だから時間いくら、月にいくらと貰うもんだろ?
そうです。
つまり、お金=労働の対価=時間の切り売りです。
もっと言えば、時間を売るとは、命を細かく切って売っていることなのです。
私たちが生まれた時受け取る命の時間、私たちはその後の人生をこの財産を売って生きていくのです。

■何に使えば後悔しないか

しかし、よく考えたら、人生は全く皮肉ですね。
なぜなら、生きるために働く→働いてお金を手にする→お金でいろんなものを買う→買ったもので当面生き延びられる→生き延びてまた働く、と堂々めぐりです。
まるで、モーターを回して電気を発電する→電気でモーターを回す→また、モーターで電気を発電する、と目的と手段がごっちゃになっている話と同じです。
しかし、モーターで起こした電気はロスがありますから、続けていればいつか止まります。それに対して人生は、かけた時間以上に付加価値を生むことができます。いわゆる成功者なら、人生の途中で生涯使い切れないお金を貯めることが可能です。
では、銀行に積み上がったお金を何に使えば良いのでしょうか。
家を建てますか?朝昼晩豪華な食事を楽しみますか?衣装でしょうか?旅行でしょうか?
でも、一通りやってしまったら、もういいやとなりそうです。
スティーブ・ジョブズは、最後の言葉で、自身の銀行に積み上げたお金を「単なるレコードに過ぎない」と言いました。
ジョブズは、自分の命を消費して、たいへんな事業を成し遂げ、また財産にも恵まれました。しかし、本質的には、生きるために食べ、食べるために働き、働いて手にしたお金で、また食べて生きる人間の姿に変わりはありません。
癌や、その他の病気に倒れるまで、誰しもこの営みを続けます。その間、たいへん恵まれる人もあれば、やっとやっと生きていく人もいます。しかし、最後の姿が墓場の一本道なら、私たちはそうやって命を売って得たお金を何に使うのが正しいのでしょうか。

■欲と怒りと愚痴

ある時、中国の天子が王宮から長江を行き交う多くの船を眼下に見て、側に控えていた宰相に尋ねました。
「この河に、今何艘くらいの船が行き交っているのじゃろうな。」
それに対して、宰相は一言、
「二艘でございます。」と答えました。
見渡す限り何百、何千艘船いるか分からないのに、たった二艘とは。
「ふざけるのも大概に致せ。何をもって二艘と言うか!」
怒り出した天子に、宰相は静かに答えました。
「名利の二艘でございます。」
〜・〜
名利とは、名誉と利益のことです。
何百、何千の船が行き交おうとも、これ以外の目的で船を走らせているものはいないと言下に断じたのです。
この話が今日まで伝えられていることからして、天子が如何にこの回答に深く感銘を受けたかが推察されます。
しかし、思い返せば、今街中に溢れる自動車も、これ以外で走っている車はありません。
つまり、人間は欲で毎日走り回っています。
また、人間の持つ煩悩のうち最大のものを、欲、怒り、愚痴の三毒と言います。
三毒とは、私たちを煩わせ悩ませる大きな三つの首魁だからです。欲がなければ、腹が立たなければ、羨ましいとか、妬ましいと言う心がなければ・・・そう思うことがどれだけあるでしょうか。
しかし、同時にそれらに心を操られ、振り回されてもいると言うことでもあります。
調子の良い時は、名誉と利益の二艘の欲に振り回され、調子が悪くなると怒りが吹き上がって身を焼く。それが敵わぬ相手だと、恨みや妬み嫉みが心を縛り付ける。
気がつけば、そんなことで殆どの時間を消費しています。そして、時に、それで命を投げ出してもいるのです。

■命を価値に使うのが一流

しかしそうすると、いよいよ私たちの命をどう使えば良いかが問題になります。
これは、人類の歴史上最も深い疑問です。
また、最近のインターネットの検索で一番聞かれて答えが出なかった問いでもあります。
「命を価値に使うのが一流」と言われます。
価値とは何でしょうか。
阪神、東北、熊本と、次から次と震災に見舞われ、もはや「この地域は安全」と言える場所はありません。
でも、地震が来るかも知れないから家の新築を止めようとか、店を出すのを止めようとは言っていられないですよね。
同じように、人生いつどうなるか分からないから、何をしても無駄、全部止めておこうなんて訳には行きません。
なぜなら、それでは生きられませんから。
つまり、いつどうなるか分からないながらも毎日繰り返している営み、それは生きていく為の手段です。
そして、生きて最後どうなるのか?
→そりゃ、墓場に入るんだよ。
でも、それでは寂し過ぎます。
生きることは手段です。そして、その手段を通じて、人生の最後でも消えない価値を手に入れる、それが目的です。
それは、世間的評価や、財産や権力の有る無しでは測れない、本当の人生の価値です。
それに命を使えてこそ一流なのだと思います。