今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

もっとも優しい生き物

(写真:信長公)

■東京喰種

後輩が、「東京喰種」と言う漫画について教えてくれました。
主人公は、元普通の人間でしたが、事故で喰種(グール)の血を大量に輸血されたことから、自らも喰種となってしまいます。
喰種になると、もう人間の食べ物は喉を通らなくなります。生きるためには、人間を食べるしかなくなるのです。
喰種たちは、自ら生きる為に徒党を組んで人間を襲い、喰らいます。
その世界観の中では、喰種に襲われるのは、まるで、山で猛獣に襲われたり、災害に遭ったりするように、不幸ではありますが、日常的な災難として受け入れられています。
もちろん、人間も自らの生存のため、対策組織を作り、喰種を狩り出し、見つけ次第抹殺を図ります。
喰種と言っても、見かけは普通の人間と変わりません。人間と同様に感情もあれば、思考も行います。ただ、違うことは人間を喰わねば生きられないことと、そして、その異常な戦闘能力の高さです。

■人間を喰む生き物

喰種の中にも、やはり穏健派がいて、人間社会に溶け込んで静かに暮らそうとします。
実は彼らには、人肉以外にも口にできるものがあります。それがコーヒーです。
そこで、表向きは喫茶店の看板を上げて、そこを中心に集まって生活をしています。
そして、肝心の食糧は自殺した人間たちの変死体を漁っては、仲間に調達しているのです。
そのようにして、表だって人間と争わず、世間の片隅に隠れるようにして、喰種狩りから仲間を守って生きています。
そして、不幸な事故で喰種となった主人公も彼らの元に身を寄せると言うのが、物語のあらすじです。
〜・〜
さて、ここまで話をして後輩は、一つの問題を提起をしました。
「あのですね、喰種は、人間を食べるじゃないですか。人間にとっては、とても凶悪で都合の悪い生き物ですよね。
でも、逆に言えば、人間しか食べない。しかも、人間を食べる以外は、見た目は普通の人間でしょ。他の動物から見たら、仲間同士共食いをしているわけです。
それに比べて僕らは、ありとあらゆる動物や鳥、魚たちを食べて生きているじゃないですか。それで、どれだけの種族が絶滅しました?
そうしたら、本当に凶暴なのは僕ら普通の人間の方ですか?喰種の方ですか?」

■生きるとは、命をいただくこと

そう言われると、人間を喰らう悪夢のような存在の喰種が、とてもエコな存在に思えてきます。
確かに、他の生き物の命を食い散らす人間より、その元凶である人間を狩り減らしている喰種の方が、地球環境にとっては有難いかも知れません。要は、人間の都合から見るか、見ないかで、まるで意味が変わって来るのです。
しかし、だからと言って、過去人類を脅かした猛獣や病原体、そして害虫同様、やはり我々の存在を揺るがす存在がいれば放ってはおけません。全力で我々の前から排除しようとするでしょう。
ただ、そのことを無批判に正義とするのではなく、二つのことを知った上で、だから敢えて選択しなければならないと思うべきなのです。
一つは、人間は命をいただく存在だと言うことです。
命の維持は、命によってしかできません。
最近の食肉工場のように、命を機械的に消費していることには深い疑問を感ぜずにはおれませんが、いずれにしろ非情有情の違いはあれ、私たちの口にするものは何らかの命です。つまり、生きたいものを無理やり殺生して、肉をむしり取って口にしているのです。
それを悪業と言う人がいます。あるいは、知能の高い生物は殺すべきではないとも。
しかし、ベジタリアンだろうが、捕鯨禁止論者だろうが、大小の命を奪って口にしていることは変わりません。
ならば、殺して良い生命と、生かさねばならない生命の線引きをどこですれば良いのでしょう。そして、もし絶対に生き物を口にしないと決めたら、その瞬間から私たちは生きて行けなくなるのです。
殺生は確かに悪です。しかし、悪業を作らずしては生きて行けないのが私たちです。
無機質なパック詰めの肉や魚にも、それがもともとは生きて生命を謳歌していたことを知らねばなりません。

■人間の価値

ならば、どうして人間の生命ばかり、そんなに重んじるのか。
一寸の虫にも五分の魂、と言うでないか。
命に重い軽いがあるのか?
それは、食物連鎖の頂点に立っている人間のエゴなのではないか?
〜・〜
そんな疑問が頭をもたげます。
この「東京喰種」や「進撃の巨人」のように、架空であっても、ただ人間だけを漁り、喰らう存在を目の当たりにすると、ますますその思いが強くなります。
それに対して、古来人間の生命の尊さを、「天上天下唯我独尊」と教えられています。
「唯我」とは、我々の人類のことです。
「天上天下」とは、地球上の全ての生き物の中でと言うこと、「独尊」とは、たった一つの尊い使命を持っていると言うことです。
つまり、何億、何兆の種族が生存していても、私たちが人間に生まれなければ果たせない、たった一つの尊い使命があるのです。
だから、人間の命は尊い。
ありとあらゆる手段を講じて、生存を脅かす存在を排除しなければならない。さらに、全ての人が生きていけるように、食糧やインフラも調達しなければならない。
だから、命をいただくのです。
ただ、強いからではない、偉いからではない。
悪業を作るのも、生きるためです。生きなければ使命を果たせません。
これが知るべき二つ目のことです。
命を奪うのも、いただくのも当たり前でない。それには、そうする深い意味があるのです。