今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

子供は美は感動、大人は美は価値

(写真:大垣上空 その2)

■なんでも鑑定団

司会者や、レギュラーメンバーを何回も変えながら、いまでは長寿番組の仲間入りをした某民放局の「なんでも鑑定団」。
古物を所有している人が持ち込んだものを、名うての鑑定師たちが目利きをする番組です。
実際、価値のある古物を所有していても、その価値を正しく知ることは難しいと思います。
先祖代々の家宝があって、親からの口伝えではたいへんな価値がある。今の金額にして、何百万円、いや何千万円。
では、その価値を誰に聞いて確認したら良いでしょうか。
古物商?
それは、プロですからね。
でも、彼らは本当のことを言うでしょうか?
何故なら、本当に価値があるものなら、わざと安く見積もって、ガッカリした所有者に手放すよう誘導するかも知れません。
いや、これは私の下衆の勘繰りですが、やはり商売や金銭が絡むと、どうしても言い値を信用する気になれません。
そこに、公開で鑑定してくれる番組があれば、専門家ならぬ所有者には有難いでしょう。
何しろ衆人環視の中、おかしな鑑定結果を放送したら、番組レギュラーの名うての鑑定師の名前に傷がつきますから。

■美=お金?

番組を支えているのは、実際の鑑定額と所有者の認識のギャップです。
あるお父さんの場合、奥さんに内緒で、退職金の前借りまでして大枚はたいて買ったので、本人は自信満々「500万」と言います。しかし、実際の鑑定結果は10万ほど。鑑定前と、鑑定後のお父さんの表情の落差が笑いを誘います。
反対に、うちから出てきた汚い掛け軸。知り合いが「価値があるから見てもらいなよ」と勧めるから、半信半疑で鑑定して貰ったところ、なんと「1000万円!」。
思わず、所有者から笑顔が溢れ出します。
見ている方もスカッとするので、この番組の大きな見せ場になっています。
しかし、私たちが一体何を美術品の価値と見なしているか、その基準が気になりますね。
価値ある古物は、だいたい年代もので、希少ではありますが、お世辞にもきれいと言えないものが多いのです。
「いや、深い味わいと言うか、職人の技と言うか、素人には分からんだろうなあ。」
そう、素人には分からんのです。
ただ、専門家が価値があると言うから有難がっているのです。そして、価値とはすなわち、お金にして幾らになるか、ならないかです。
つまり、私たちにとって、美とはお金そのものなのです。

■うわあ、きれい

「うわあ、素晴らしい絵ですね。」
「いやあ、二束三文の安物だよ。」
そう切り返されると、褒めた方の鑑識眼の低さを指摘されたようで恥ずかしくなります。
でも、そもそも「美」とは何でしょう。
見ていても何の取り柄もない小汚い茶碗、しかし、高い鑑定結果が出たので、ニンマリしながらたまに取り出しては眺めている。
まるで、金庫から取り出した札束を眺めているのと変わりません。
しかし、美とは本来、価値のある無しに関わらず、人の心に作用するものです。
見ていて、心が癒されるとか、生きる力を与えてくれるとか、一人一人の感性で、好きだ、嫌いだと言えば良いのです。
その意味では、子供の描いた絵でも、商店街のシャッターに描かれたペンキ画でも、「良いものは良い」「好きなものは好き」です。
前、家のトイレにまだ当時4歳から5歳だった甥っ子の絵が飾ってありました。
子供の絵には一文の値打ちもありません。
しかし、見れば見るほど味わいがあり、トイレで用便を済ませている間、ずっと眺めていても一向に飽きることがないのです。
別にピカソやシャガールの絵である必要はありません。
美はその人その人で感動できれば、それが本来の価値です。億単位のモナリザの絵に、興味が湧かない人がいても構わないのです。
その意味で、子供はお金の価値に縛られていないので、美に対する感動はストレートです。
「うわあ、きれい」
感動を素直に表現します。私たちは、いつの間にやら、希少性とか、金額等の価値に縛られて、それを表に出せなくなっているのではないでしょうか。

■素直な感動

よく子供の描いた絵を見ると、確かに上手ではありませんが、見ていて楽しい、ほのぼのすると言った感情が湧いてきます。
そして、ピカソやシャガールのような大家の絵も、デッサンや色使いの緻密さとは無縁です。全く美術の知識のない人が見たら、「子供の描いた絵だろう」と笑うも知れません。
でも、子供の描いたような絵だろうが、なんだろうが、見る人の感性にズシンと響くからたいへんな美術品として評価されます。
また、デッサンの緻密さとは関係ないとは言いましたが、ピカソの絵は彼自身のたいへんなデッサン量に支えられていることは周知のことです。
ピカソは、
「子供は誰しも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。」と言っています。
子供のような絵を描くのにデッサンは不要、ではなく、子供の感性を維持するのにデッサンの積み重ねが必要だったと言うべきでしょうか。
そして、
「子供は美は感動、大人は美は価値」と言われます。
金額や希少性の価値だけでなく、子供のように「うわあ、きれい」と言う感動に素直に生きれば、もっと世界は美しく楽しい場所になるかも知れません。