今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

真の自由とは、人の成功を寿げること

(写真:陽の光のカーテン)

■人の成功を喜べるか

「幸福とは、他人の不幸を見ているうちに沸き起こる、快い気分である。」
(アンブローズ・ピアズ「悪魔の辞典」より)
有名な悪魔の辞典の一節です。
本当はとても不謹慎なことですが、困っている人、苦しんでいる人がいると、可哀想にと言いながら、どこか快い感情がある。
反対に、成功した、幸せになったと聞くと、表面はおめでとうと言いながら、心は薄ら寒くなる。
例えば、町内の秀才が東大に入学したと聞けば、面白くない。さらに、中央省庁に入ったと聞くと、全く自分とは縁のない世界なのに、やはり寒々とします。
ところが、省庁の激務に心を病んで、今は自宅で引きこもり、なんて聞こうものなら、心の隅に横手を打って喜んでいる奴はいないでしょうか。
その間、自分は頑張りも、努力もしないで、ただ人の浮き沈みを眺めていただけです。
それで、楽しめるのですから、元手がかからないですね。しかし、同様に何も得られていない。ただ、それだけのことです。

■心を縛る妬み

高校の頃、「エースを狙え」と言う人気アニメが映画化されました。
高校の強豪テニス部に、親友のマキちゃんとミーハー気分で入部した主人公の岡ひろみ。
長いテニスキャリアの部員に混じって、「レギュラーなんて雲の上の話、お気楽にテニスを楽しもう」と思っていたら、思いもかけずレギュラーメンバーに選抜されてしまいました。
それから、鬼コーチ宗方仁の猛特訓が始まります。もともと、目標もメンタルも持ち合わせない岡ひろみでしたが、必死で特訓に耐え、やがてメキメキ頭角を現し始めます。
〜・〜
そのアニメを見て、高校時代の女友達がシミジミと語りました。
「あのマキちゃん、偉いわよね。だって、親友だけがどんどん凄くなっているのに、何のわだかまりもなく付きあっていけるんだから。」
へえ〜、深いなあ、と感心しました。
確かに、自分だったら無理だろうな、とも思いました。
よくトップアイドルが「帰省して、昔の女友達と地元で一緒に遊びました」とか語っていますが、どんな場の雰囲気だろうなと想像してしまいます。
今をときめくトップアイドルと、普通の人生を送っているその他の友達。
アイドルを駅に送った後、「ああ、疲れた」なんて語っているかも知れません。
いえ、これは勝手な私の想像です。そんな立場の方がおられたら申し訳ありません。
でも、友達や同僚がどんどん成功していくとしたら、私なら心穏やかに付き合うことは無理でしょう。
それは、妬み嫉みの感情です。
そして、今もそんな感情に心を縛られて苦しんでいるのです。

■人の成功を寿げる人

前段のマキちゃん、実に幸せな人です。
私もあのアニメでは一番好きなキャラクターです。お蝶夫人とか、緑川蘭子とかは、ちょっと肩に力が入っていて疲れますしね。
なにしろ、異例の抜擢でレギュラーになった親友のひろみのことを、妬まず嫉まず支え続けるのですから。
この子は、人の成功を喜べる人なのです。
私も、何かの本で「人の成功を喜べる人は幸せ」と読んだことがあります。
確かに、著者はそんな人なのでしょうね。
でも、自分には無理だなあ、と思います。
もし、喜べるとしたら、オリンピック金メダルとか、ノーベル賞受賞とか、自分とは距離感が遠くて、なおかつ都合の良い場合でしょうね。あるいは、その人の成功が、自分の成果を下まわっている場合とかです。
同僚が自分より出世する。友達や兄弟の貰った奥さんが、自分の妻より美人だったら・・。
反対に、不美人だったら、初めて安心して心から祝福しているのがオチです。
でも、そんな心って、どうでしょうか。
相手の成功を妬むことも、相手のやり損ないを願って安心することも、大変なエネルギーが必要です。しかも、そんな感情に心を縛られていても、なんら自分に成長も学びもありません。
それこそ、骨折り損のくたびれ儲けではないでしょうか。

■真に自由な精神

仮に、人の成功を素直に喜べたら、どんなに良いでしょう。
人の喜びは自分の喜び、自然と心に喜びが多くなります。
人の喜びと自分の喜びで、喜びが2倍ですから。そして、自分の喜びを我がことのように寿いでくれるから、皆んなから好かれて、自然と人の輪ができます。
また、人のことに煩わされないから、心がいつも伸び伸びとしていて、人生に自由を満喫できるでしょう。
見栄もいらないし、外見を飾ることもいらない。そして、そのエネルギーを全て、自分の任務達成に注げるので、どんどん結果にも恵まれ、人生がどんどん輝いていきます。
・・・と、良いことずくめなのですが、簡単に見えて、この妬み嫉みを抑えることは至難の技です。
やはり、自分に確固たる自信を持つことなのでしょう。その意味で、私はまだ遥かな道の途中です。