今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

他人の失敗を喜ぶことに才能を使いたくなるような人間は、自分の値打ちをもう一度最初から見つめ直すべきだ

(写真:ニシキ・ナイトウォーク)

■人の失敗を願う人間

悲しいかな、人間とは人と比べて初めて喜べる生き物です。これは相対の知恵しか持たない限界です。
相対の知恵しか持たないことは、「自分が幸せか、幸せでないか」を問うてみれば分かります。
つまり、幸せと答える人は、今の自分より恵まれていない人を思い浮かべて比較していますし、反対に、不幸せと答える人は、周りの恵まれている人と比べて、いろいろなものを持たない自分を嘆いているのです。
人間幸せになるのは簡単だと言います。
人をたくさん集めて、自分がどんなに不幸かを語らせるのです。すると、それを聞いた人は「自分は、それに比べてずっと恵まれているな」と幸せな気分になれるのです。
また、人間は自分の居場所を探す生き物です。人より優れていると、しばらく自分の居場所は安泰だと安心します。反対に、自分より優れている人間が周りにいると、いつか自分の居場所を奪われるのでないかと、汲々とします。
自分自身の価値とは関係ないのに、どうしても周りと比較して安心せずにおれないのです。
そして、自分が努力して頭一つ抜きん出られたら良いのですが、それが叶わないとひたすら人の失敗を願うようになります。

■野村監督の独白

これは、著名人でもあるようです。
かつて、野村克也元監督が南海にいた時、監督と選手を掛け持ちする謂わゆるプレイングマネージャーに就任しました。
やはり、選手としても、指揮官としても優秀だったのでしょう。1度は、チームを優勝にまで導いています。
しかし、その野村氏も年齢とともに、自身のプレーに陰りが見えてきました。そして、ある時、若い選手のプレーの失敗を喜ぶ心に気がついて愕然としたそうです。
それは、自分ができなくなった分、周りを引きずり下ろして、同レベルで安心したい心です。
「これは、いけない」
さすが、稀代の名選手です。そこで、潔く選手から身を退きました。
よく、俳優の世界でも、自分の地位を脅かす若い芽は最初のうちに摘んでおく、とバラエティなどで語られています。
真偽のほどはともかくとして、もし、自分がその立場だったらあり得ない話ではありません。その点、野村元監督は、実に立派だと思います。

■人を下げて、自分か浮かぼうとする

私の周りには、今も昔も、優秀な若い人がたくさんいます。
経験と言うハンデはあっても、基本若い人は優秀です。なぜなら、私たちが必死で築き上げたものを踏み台にして更に上が目指せますし、今の時代の主流となっている製品や技術に子供の頃から親しんでいるからです。
クラウドやスマホなど、我々がなんとか必死についていこうとしている最新技術にも全く抵抗がありません。彼らは、最初からクラウドネイティヴであり、モバイルネイティヴなのです。
そんな彼らを頼もしく思う反面、いずれ自分など用済みになるのではないかと、不安になることがあります。あるいは、先輩としての体面故かも知れません。
そんな時、彼らが上手くやってのけると不安になる。反対に失敗すると、安心する心がある。
考えてみれば、その人がいても、いなくても自分の値打ちは変わらないはずです。もっと言えば、彼らがいなければ自分など、現状に甘んじてそのまま朽ちてしまう存在です。
それを彼ら優秀な人材がいるから、もっと頑張らなければならないと言う意識になります。むしろ、感謝して然るべき相手です。
それを、相手の足を引っ張ることばかり考えているのは浅ましいことです。
浮かぶ努力を怠って、相手を下げることで、自分が浮いた気分になる。
そんな心に悩まされます。

■自分の価値を知らぬ悲劇

その時、自分が考えているのは、どんなことか。
それは、彼は難しい技術を習得できたのに、自分は出来ていない。彼は、顧客の前で上手くプレゼンテーションできたのに、自分にはそんな力はない。
その人、その人の特性を羨ましがって、妬んでやっかんでいる。
しかし、そうしている間は、自分の特性、つまり強みがお留守になっているのです。
新しい技術はダメだけれど、提案は優れているとか、プレゼンテーションはダメだけれど、トラブル解決は誰にも負けないとか。
全員が平均点で同じことができるより、飛び抜けた強みを持ったメンバーの集まりの方が優れたチームのはずです。
しかし、上の立場では、そこが上手く見えないこともあります。全員を同じ方向に平均点で動かそうとします。そして、それは仕方のないことです。
ですから、まず自分で自らの強みをよく自覚し、更に磨きをかける。
いや、それを理解してもらえなければ、活躍の場なんかないよ、と愚痴も出ますが、そこはまだ磨き方が足らないと自覚して、更に努力です。
少なくとも、人の特性を羨んで、それで時間を費やしているより、自分は自分の強みを磨く、その方が遥かに時間の有効活用ではないでしょうか。