今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

結局のところ、人格は言動よりはるかに雄弁なのである

(写真:東京の玄関口 その1)

■二人の僧侶

これは、二人の僧侶の話です。
二人は、若い頃から出家の道を志し、同じ師について、同じ学び舎で寝食を共にしました。
やがて、同じように頭角を現し、今では二人とも多くの人々から、名僧知識と仰がれる立場です。多くの弟子を持ち、説法の依頼は引きも切らず、互いに忙しい身の上でしたが、二人はお互いの交情を決して疎かにすることはありませんでした。
そして、ある時二人で会って歓談している時に一方の僧侶が言いました。
「なあ、オレたちは、長い間一緒に学び、そしてお互い今は名僧知識と言われる立場だ。このように今でもたまに会って語り合っているが、死んだ後も極楽寺浄土で一緒になれたら良いなあ。」
「そうだなあ。我々は極楽浄土に行けるとは思うが、死んでみなければ分からんというのは残念だな。」
「そうだ、こうしよう。どちらか先に死んで先に極楽に行った方が、残った方にそれを教えに来ると言うのはどうだ。」
「そうか、それは良い。そうしよう。」
そうして二人の間で話がまとまり、やがてその内の一人が本当に死んでしまいます。
残った方の僧侶は寂しい思いをしながらも、ひそかに楽しみにしていることがありました。
「そろそろ、あいつから極楽に行った知らせが来るころだ。」

■野槌

そんなある日の夜。
寝ていた僧侶の枕元に、ズルリズルリと這い寄るものがあります。
びっくりした僧侶が飛び起きて、夜目に透かして見ると、現れたのは一匹の野槌でした。
野槌とは、目も鼻も、手も足もない軟体動物で、顔の代わりにただ大きな口がついている実に醜悪な化け物です。
そのきみの悪い姿にたまげた僧侶は、ヒャッと叫んで逃げ出そうとしました。
すると野槌の方から、
「待ってくれ、オレだ。こんな姿になったから分からんのも無理はないが、長い間一緒だったお前の友達だ。」と声をかけてきました。なんと、先に死んだ友達は、野槌に身を落としていたのです。
「お、お前、極楽浄土に行ったのではなかったか。」
「そうでない。俺は生前、名僧知識と周りからおだてられ、良い気になってしゃあしゃあと出来もしないことを人前で喋っていた。
その報いで、今はこのような浅ましい身に生まれ変わったのだ。」
「そんな・・・。」
「良いか、お前もこのままでは野槌になるぞ。それを伝えたくて、俺は来たのだ。」
そう言って、野槌はさめざめと泣くのでした。

■野槌候補たち

先ごろ、有名なテレビのコメンテーターの学歴詐称が発覚、番組を降板すると言う騒ぎがありました。
有名大学出で、博士号ももあり、実業でも成功しているはずが、高卒のタレントまがいの人物だったと言うのです。
しかし、高卒とは言え、立派にオピニオンリーダーを務めていたので、カミングアウトの仕方では、かえって世間が支持したでしょうね。
それに対して、世間の非難はこうです。
「専門的な勉強をして、実績も積んでいると思うから、一生懸命話を拝聴していたのに、全部自分の勝手な思いを喋っていたとは許せない。」
要は立派な肩書きがあるから信じていたのに、それがなければ、その人間自体も信じるに値しない、と言うのでしょう。
全く彼の話に感心していたのか、肩書きに感心していたのか分かりません。まるでスーパーのワインを高級ワインと信じ込まされ、さんざん賞賛していたような我々こそ良い面の皮です。
それにしても、一流企業の部長です、経営コンサルタントです、MBAホルダーです、という肩書きに我々はイチコロです。
ついつい、話の中身より肩書きに目が行って「さすが」となりがちです。
私もいつも反省させられることですが、いつの間にやら自分の言葉に酔って、偉そうなことを言うようになる。しかし、中身がともなっていない。
ましてや肩書きがあれば、周りがおだてるものだから、尚のこと注意が必要です。
その結果、政治家なら庶民感覚からずれた施策をする。
「申し訳ない、御社を潰したのは私です!」と言う、衝撃的なタイトルの本がありましたが、書いたのはコンサルタント経験者です。仕事だから仕方ないのでしょうが、よほど気をつけていないと、実業を離れたところで理論ばかりを振り回す滑稽なことになります。
今は有名なIT企業の経営者が、かつてコンサルタントだった時、「血反吐を吐いたことがない」のが悩みだったそうです。
コンサルタントは実際に実業を経営する訳ではありません。学んだ理論やノウハウをもとに上手くいく方法をサポートする訳ですが、実際に経営をしておられる社長とはズレがあります。それが口惜しくて、自分で会社を立ち上げて、実業に乗り出しました。
しかし、結果は散々でした。
そう「不恰好経営」で有名なあの人です。

■誘蛾灯

結局、世の中、賢いかより、賢く見せるかが大切。偉いかより、いかに偉く見せるかが大切。尊いかより、尊く見せるかが大事。
さらに、肩書きがあればあまり深く追求されない。
できもしないことを、しゃあしゃあと喋って、皆んな最後は野槌に身を落とすのですね。
もちろん、偉そうにこんなことを書いている私も同じです。
確かに、本当に立派な人はたくさんいます。対して、私のように根気もなく、凡庸なものは、どうしても限界があり、人から偉く思われたいから、精一杯言葉で飾り立てる。結果、人から多少は評価されましょうが、実態が伴わないので、そのギャップに苦しむ。
ならば、敢えて偉そうにするのでなく、無理なくできることを確実に実践する方が潔いと思います。口で言うより、確実な実践を人は評価するものです。
そして、堅実な実践は人格を作ります。
結局のところ、人格は言動よりはるかに雄弁なのです。