今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

always on

(写真:バルーンフェスタ その1)

■いつも遊んでいるように見えるけど

かく言う自分も含めて、電車の中では、相変わらずスマホや携帯に目を落としている人ばかりです。たまに、アナログの新聞や書籍を読んでいる人が物凄く賢そうに見えたりして。
まだスマートデバイス第一世代の私たちは、持ち運び可能な小型端末と言うと、ゲーム機を思い出す所為か、一生懸命スマホを操作している人が遊んでいるように思えてしまいます。
しかし、今のスマートフォンは、さながら小型コンピュータですから、メールの送受信も、書類のチェックも、文章作成も(もちろんテキストベースですが)、メモ帖代わりもも、カロリー計算も、計算機やナビ代わりだってできます。そのため、これだけ高機能だと、遊びだけではもったいないですね。
紙にメモして無くす前に転記しようとか、うちのパソコンのEXCELで管理しようとか考える前に、それに使えるアプリはないか検索して、これだ!と思えば即ダウンロード。いろんな仕事がどんどんスマートフォンに集約していきます。

■always on

会社によって個人用、会社用と二台持ちをしているところも多いのですが、昨今の流れはBYODです。つまり個人持ちの携帯を、用途を限定して業務でも使わせて貰おうと言う考え方です。
それが可能になるのは、パケットについて定額制が普通になっているからです。例えば、5ギガとか通信の上限があって、それを過ぎると通信料を別途請求されます。しかし、私もかなりの頻度でデザリングをしていますが、なかなか5ギガには届かないですね。
その余ったパケットを、専用アプリを入れて会社の業務で使わせて貰えれば、会社は携帯の通信料を払わなくても良いですし、個人もいくらか手当が貰えるので、双方お得な訳です。
しかし、いつでも、スマートフォンを通じて会社の業務ができることは、急速に業務時間内(ON)と、業務時間外(OFF)の区別が不明瞭になることでもあります。
かくして、いつも業務と繋がっている状態、すなわち「always on」は、このスマートデバイス社会の特徴となっています。

■いつも繋がっている人生

いつも、業務と繋がっている。
それは、昔のように会社を一歩出れば業務のことは一切忘れられた時代ではないと言うことです。
政府は労働時間の短縮をうたいますが、クラウドで、時や所を選ばず仕事ができる環境が整った結果、それこそオンとオフの切れ目がなくなって、気がつけば24時間仕事モードなんて人ばかりになるかも知れません。
居酒屋で飲んでいても、携帯で呼び出されて緊急出動しているように、携帯電話の普及は私たちのプライベートの時間をかなり縮めました。
やがてそれが昂じて、モバイルデバイスとクラウドでいつでも、どこでも仕事モードに切り替わることができる。そして、その感覚が当たり前になってしまうと、人間は相手の生活時間帯を考えることを止めてしまうかも知れません。
やがて、自分の仕事の都合に合わせて、即時応答が当たり前になり、それに付き合わされる方は24時間、365時間、プライベートでありながら、頭の片隅でいつも仕事と繋がっている状態になります。
流行りのテレワークのお題目は「場所を選ばない、時間を選ばない」です。しかし、裏返せばそんな24×365の実態が見えてきます。

■敢えて繋がらない時間

いやいや、そんなのまだ先だよ、と言われるかも知れません。
ですが、24時間、365日、「always on」の兆候は既に現れています。
それは、最大のSNSであるFacebook、あるいはより個人間の関係が密になるLINEで、昔とは全く違うコミュニティとの繋がり方が出現しているからです。
確かに、LINEは即時に応答しなくても構いません。そこは、ジャンジャンかかってくる携帯電話の着信とは違って、受ける側の負担はより軽いと言えるでしょう。その反面、相手の都合など考慮せずにバンバン発信しがちなのも事実です。
しかし、私たちは本当にLINEによって制約されていないのでしょうか。
着信がプッシュで通知されても、要は無視しておけば自分の大切なプライベートが侵食されることはありません。ありませんが、やはり、そこは仲間内、どんな大切な内容が送られているか分からないので、ついつい開いて見てしまいます。なかなか、あのプッシュ通知の赤いボッチと件数表示は、我々を動かさずにはおかないようにうまくデザインされていますね。
それに、友達同士のコミュニティを大事にしたいから、積極的に返信や発言をしてアクティブ感を演出しようとします。すると、「いつも早いコメント有難うね!」なんて返ってきて、ますますこの傾向に拍車がかかります。
かくして、膨れ上がる友達と拡大するコミュニティ、そして飛び交う会話で、24時間LINEの携帯を手放せなくなっている人もいるかも知れません。
ちなみに、Facebookでは、もうその傾向が出ていて、膨れ上がる友達に疲れ果てた人は、フォローする相手を絞るとか、あるいはひたすら発信だけをするとかに移行しているようです。かなりFacebookのコンセプトからずれた使い方をされている気がしますね。
ただ、これは良い傾向だと思います。
SNSの台頭期には、世界の片隅でひっそりと生きていた自分が、世界相手に発信できることに皆んなとても興奮しました。
しかし、それで何が変わったかと言えば、やたらプライベートが削られたことと、多少の自己顕示欲が満たせたこと。
そして、SNSのつながりも大切ですが、自分の本当のプライベートの時間の大切さに気がついた訳です。
人に注目されていなくても、自分だけの人生の時間をゆっくりと味わう、そんな敢えて繋がらない時間こそ一番贅沢なのでしょうね。