今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

弱そうで強いもの

(写真:水彩三選)

■歯と舌と

強そうでいても弱いもの、反対に弱そうでいて強いもの。
強そうでいて弱いものに、人間の歯がある。
歯は人間の身体の部分では、もっと固い。
どんな固いものも噛み砕ければ、筋ばかりで包丁でも容易に刃が通らない肉でも切り裂ける。
しかし、少しケアを怠ると、すぐ虫歯になるし、歳がいけばボロボロと抜け落ちる。
反対に、弱そうでいて強いものは、口の中の舌である。
もちろん、硬さでは歯に叶わないから、歯で舌を噛んでは痛い思いをしている。
しかし、歯抜け爺さんはいても、舌抜け爺さんなど聞いたことがない。「いっそ歳を取って舌が抜けてくれたら、さぞ家の中は落ち着くのに」そう子供たちから思われているかも知れない。

■強くて弱い人

人間にも、強そうでいて、弱い人がいる。
強い、とは、自分を頼む心が強いと言うこと。
だから、人に弱みを見せない。常に強いところを見せようとする。
人に何かを依頼する。
その時の相手に二通りいる。
まず、依頼した事項について自分の方が上手くやれる場合。
これは、得意になって檄を飛ばしたり、細かいところまで指導をする。
反対に、相手の方が上手くやれる場合。
普通考えれば、相手の方が上手くやれるから依頼するのに、強い人はそれが許せない。
なんとか自分の枠に嵌めようとするか、あるいは力不足の自分を恨む。コントロールし切れない相手は好きでない相手になり、甚だしい場合には丸投げに近くなる。
強い人は、手慣れたことならグイグイとリーダーシップを発揮して進めることができるが、自分のキャパを超えた時に人に頼ることができないから、そこにその人の限界が生まれる。

■弱くて強い人

弱そうでいて強い人とはどんな人のだろう。
それは、自分にとらわれていない人。
だから、できないことはすぐに「出来ない」と頭を下げる。また、間違いを指摘されたらすぐに謝る。
一見、自分がなくて弱そうに見える。
中には評価しない人もいるかも知れない。
しかし、そこにこだわらないから強いとも言える。
成果は自分の評価でなくても構わない。チームで評価されたらそれで良い。
そう割り切ってしまえば、仕事は一番最適な人に任せることに躊躇などしない。自分の年齢や立場にとらわれず、マネジメントですら得手な人間がいれば任せることができる。
結果、一番パフォーマンスの良い組織作りができるから、その人のキャパを遥かに超えた仕事をすることが可能だし、世界がどんどん広がる。

■頭の下がる強さ

弱そうで、その実強い人の「強さ」の源とは何だろう。それは、人に頭の下げられる「強さ」だと思う。
普通人間は、周りからの評価で居場所を作ろうとする。誰かに負けたり、劣ったりすると居場所がなくなった気がして居心地が悪くなる。
だから、なんとか人に負けないように頑張るし、また自分を負かすような人間は部下であっても遠ざけたがる。
そして、気がつけば、自分の強さを自作自演して、それに縛られている。
かつて、スタジオジブリの鈴木プロデューサーが、「自分を信じない。人を信じる」と言った。
「自分を信じない」とは、強い自分にとらわれない。「人を信じる」とは、公平な目で、また私心なく一番適任の人を選ぶ。自分の感覚と違いがあっても、そこはプロデューサーとしての責任が前提だが、相手を承認し、耳を傾ける。
時に、異種のコラボによる面白い化学反応が起きるかも知れない。それを自分の枠、評価や、立場にとらわれずにやる。
だから、あのジブリの他の追随を許さない世界観が構築できるのだと思う。
対して、監督とか、アニメーターは技術の人、自分を頼む心がなくては務まらない。
その中を上手く飛び回って、時に頭を下げ、時に調整をして、承認し、補正をする。
一見、よく頭を下げる弱い人、しかし、自分を殺し、周りを生かす強い人。
そして、一番ダイナミックにプロジェクトを動かしている人なのだろう。