今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

生きる意味

(写真:スーパームーンの夜 その2)

■瞬間の人生

日光の華厳の滝は自殺の名所として知られている。
それは、明治36年、当時まだ17歳だった旧制一高の学生 藤村操が投身自殺を図ったことに端を発する。
その時に、側のミズナラの木に操が遺書として記した言葉がある。
『巌頭之感』と題されたその遺書は、当時の若者たちに大きな衝撃を与えた。
当時の旧制一高は、今の東京大学の前身であり、そこの学生であった藤村は今日で言うところのエリートだった。立身出世に向かって、まっすぐ進んでいたはずのその彼が、『巌頭之感』を記して華厳の滝から自殺を図った。
そして『巌頭之感』に記された厭世観に同調する若者が多くあらわれ、華厳の滝から投身自殺を図るものは、藤村死後4年で180名を超えたと言う。多くは警察に保護されるも、既遂はうち40名に上ったと言う。
そこから、いまでも華厳の滝は自殺の名所と言われている。
その藤村操の『巌頭之感』は以下である。

巌頭之感
『悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。』(抜粋)

■小身もって、この大を図らんとす

どんな意味だろうか。

「悠々たるかな天壤、遼々たる哉古今」
天地万物、宇宙は無限である。そして、時間もはるか悠久の太古から彼方の未来へと続いている。
「五尺の小躯を以て此大をはからむとす」
であるのに、人間の何と小さく、また一生の短いことか。この人間の一生で、この宇宙の、また時間流れのどれほどのことが分かると言うのだろう。
「ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ」
どんなに権威をもって語られた哲学等の学問にも、どれほどの回答が期待できようか。
「萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」」
人生の本当の姿は、ただ一言で表せる。曰く、「不可解」である。

■人生の意味

当時も、今も、希望の仕事に就いて、評価をされ、多くの人の役に立つ、それを人生の意味と捉える人は多いだろう。
しかし、藤村操のように、広大な大宇宙や悠久の歴史と人間境涯を比べてしまうと、その短さ、小ささ、無力さに愕然とする。
果たして、自分が生まれて、そして死んで、それで何か世界は変わるのか。宇宙の片隅で、いくばくかの資源を摂取し、そして死ぬまでに大量の廃棄物を生み出しているばかり。
家族や周りは、自分の誕生を寿いでくれるが、この宇宙にとって自分は本当に意味のある存在なのか。結局、生きてやがて、消えていくだけの存在でなないのか。
そして実はこの問いは、全ての人間にとって等しく切実である。
そう、我々にとって、これを問われるのは今ではない。命の火に限りが見えた時である。
あの豊臣秀吉にして、辞世の言葉は、
「露と落ち、露と消えにし我が身かな
難波のことも、夢のまた夢」
であった。
そして、スティーブ・ジョブズ、最後の言葉は、悲しいかな、彼の業績も、起こしたイノベーションも否定するものだった。
ましてや、我々をや。
臨終に迫られるこの問いを、生きている時に誤魔化さずに問いかけ、真っ直ぐに向き合った、その藤村操と言う人物の鑑識眼、そして人生に対する真摯さ。それは、尋常でないし、また若くして命を絶ったことが惜しまれる。

■人生の卒業式に胸を張れるか

自分も学生時代、この藤村と同じ問いを問われたことがある。曰く、生きて死ぬだけの人生に、何の意味があるのかと。
そしてその時、自分なりに出した答えがあった。それは、高名な生物学者の考え方を借りたものだった。
生物学者氏曰く、地球の歴史は生命進化の歴史であり、我々人類と言えど、まだ進化の過程である。そして、我々の遥か子孫はどんな高度な生き物に進化しているだろうか、その生命をつないでいるのが自分の命である。その意味では、自分の儚い命も、生命の進化に貢献していると思うと嬉しい。
確かに、未来へと命をつなぐ、それだけで人生に意味があると言われれば、元気も出よう。
しかし、忘れてならないのは、一人一人、人生には卒業式が待っている。
そしてその時、一生の中身が問われる。だから、そこに在籍したこと自体に意味があると言うのは言葉遊びに過ぎない。
いずれ遠くない自分の人生の卒業式。
その時に人生の卒業証書が貰えるか、そして胸を張って卒業できるか。
今はそれを強く思う。