今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

異質を知り、異質を理解し、異質を強みとし、異質を誇りとする

(写真:スーパームーンの夜 その1)

■ものさしを壊せ

我々は、何らかのものさしを持っている。
学生時代ならば、偏差値と言うものさしがあった。全体の学力の平均値を50とし、どれだけ上や下に振れているかを表す。
40代は平均以下、70代なら優秀、80代なら超優秀。それで、行ける大学のレベルが評価され、学生にとっては一つの価値基準だった。
もちろん、それだけでその後の人生が決まる訳ではない。偏差値が高くても、人生に躓いてしまう人もいれば、偏差値が低くても人の羨む仕事について、素晴らしい業績を残す人もいる。
また、社会に出れば、新しい価値基準が生まれる。
会社社会ならば、ポストがそれに当たるだろう。
課長より部長、部長より役員、そして社長、会長。高いポストは、会社内で広い権限を与えられていることを表す。社員が何か進めようとする場合、ポストの高い人の承認が必要になるため、必然的に力関係のようなものが生まれる。自分が仕事をし易くするためにポストが必要だと考えて、会社での高い地位を求めるようになる。
それが昂じて、一時高いポストに就くこと、すなわち出世が会社員の生涯の目標のように思われた。確かに、「◯百人を率いるリーダー」と紹介されると無条件に凄いと思えてしまう。
しかし、ポストとは会社社会の都合で決まる基準であり、それとは関係なく会社に大きな貢献をする人もいれば、立派な仕事をする人もいる。
ものさしにとらわれ過ぎると、本当の幸せも、また強みも見えなくなる。

■ものさしで測れないもの

究極的に人生の価値は、幸福感で測ることができる。その人が生涯を通じて、どれだけ幸福であったかどうかが、その人の人生の価値である。
しかも、それは我々の持っているものさしでは測り切れない。
いくつか、実例をあげれば、例えばブータンと言う国。国民の幸福度を数値にして比較した結果、世界中で一番だった。普通、世界で一番幸せな国と言えば、物質的に最も恵まれたアメリカか、あるいは全国民が等しく豊かさを享受できるこの日本を想像するだろう。
しかし、アメリカより、日本より、ずっと国情は貧しく、ものに恵まれないブータンが第一位なのだ。それは、我々よりもはるかに優れた精神文化があるためなのか、いずれにせよ、ものだけで幸福感は測れないことを表している。
また、最近公開されて話題になったスティーブ・ジョブズの遺言。
お金、地位、そして今世紀最大のイノベーターという名誉、我々がその一つでも手に出来たら人生どんなに満足だろうと思えるもの全てを手に入れて、そしてガンに倒れた。
しかし、その辞世は、決して輝かしい人生を誇るものでなかった。
むしろ、必要以上に富や名誉に固執し過ぎて、人生にとって本当に大切な時間を送って来なかったことへの後悔が語られていた。
お金がある人は、お金の有無しがものさしである。家柄の良い人は、出自の良し悪しがものさしである。学歴のある人は、出身大学がものさしである。
しかし、本当の人生の価値は、そんな単一のものさしでは測ることができない。

■異質を知り、異質を理解する

ものさしの対局にあるもの、それは多様性。
最近、ダイバーシティと言うことが良く言われる。単一のものさしを示して、このものさしに合わせなさいと言うのでなく、いろんな価値観を認める。
世の中は、もはや与えられた均一のものさしでは測れなくなっている。
例えば、性同一性障害。身体は男でも心は女、あるいはその反対。前は、男の身体を持つ以上、男らしく生きなさいと強制的に縛っていた。しかし、性同一性障害の存在が科学的に解明されるに従い、果たして無理やり男の枠に閉じ込めるのが当人の幸せなのかと疑問が呈され、それらの人を後押しする風潮が生まれた。そこから、身体の性別より、心の性別に素直に生きる選択をする人たちが現れている。
あるいは、同性婚を法的に承認しようと言う流れもある。その他、いままで社会通念上、みっともないと思われてきたことを皆んな堂々と主張し始めている。
すると企業も、消費者像として圧倒的多数のステレオタイプを想定するだけでは成り立たなくなっている。また、一緒に働く仲間も、会社の画一的な規範では縛れなくなってきた。
要は、いままでの管理重視、効率重視の均一モデルを壊して、異質を知る必要が出てきたのだ。最近の若者研究に熱が入るのも、その流れだろう。
「最近の若い奴はどうも分からん」とボヤくだけでは、消費者や社員の心をつかむことができない。だから、敢えて我々世代とは異質な考え方をする若者たちに歩み寄り、時にタッグを組んで、異質な世代を理解しようとするのである。

■異質の強みと、異質ゆえの誇り

世の中が多様化するということは、異質をたくさん抱えるということ。
同じように、企業も今までのでものさしを捨て、異質をまた身内に抱える必要がある。
例えば、女性をたくさん現場の一線に登用すれば、女性に支持される商品開発ができる。
あるいは、若者を役職者に抜擢すれば、今の若者文化にマッチした企業戦略をとることができるかも知れない。
すなわち、異質を抱えることが武器となり、強みとなる時代である。
そして異質なるゆえに、時代の隅で小さくなっていた人たちに日の光が当たるようになる。かくして、異質を隠して周りに合わせなくても良い、むしろ異質であることを誇ることができる世の中になるかも知れない。
とは言え、我々の中に持つものさしは強力である。また、ものさしや基準を壊して、効率を下げる勇気を持てるか、あるいは、異質を統率できるだけのリーダーシップを持てるか。課題は多いが、多様性、異質性に向かう世の中で、避けては通れない道である。