今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

山あり、谷あり

(写真:那古野の街並み)

■人生山あり、谷あり

人生山あり、谷あり。
取り立てて不都合もなく、お金も人間関係も思うまま。そんな順境の時期は人生の山である。
反対に、一つ歯車が狂うと、次から次と不都合なことが起きる。仕事を失った途端、お金に事欠き、家族からも友人からも愛想を尽かされる。荒れた生活の末、身体まで悪くする。そんな逆境の時期は、人生の谷である。
禍福はあざなえる縄の如し。
人生は、幸福と不幸の二本の紐を、一本により合わせた縄のようなものである。だから、順境の後には逆境、逆境の後には順境と、代わる代わるに訪れる。
今順境の人には、次に逆境が来るから心しなさいと慢心を戒め、逆境の人には、やがて順境に転ずるからしばらく忍従しなさいとの励ましとなる。

■時に浮かれ、時に落ち込み

これは、世間で注目されている人にも顕著に現れる。
野球選手にも山があり、谷がある。
山の時期では、思うままに成績を残すことができ、高い年俸を貰って、さらにCMの出演まで舞い込む。スター選手として、ファンからも世間からも注目される。
だが、やがて谷の時期が訪れる。
成績の不振に苦しんで、年俸は下がる一方。評価してくれない球団に見切りを付けて、FA宣言をして飛び出したまでは良かったが、どこも引受け手がなく、泣く泣く引退。
その後、解説者や講演者を目指すも、思うように仕事が来ずに生活費にも事欠くようになる。
調子の良い時に、あれだけ稼いで、我々一般人の生涯年収の何倍も貰ったはずが、お金が残っていないとは、どういうことか。
ひとえに調子の良い時に、今が自分の人生の山だと分からないから、あるだけ浪費してしまうのが原因。
我々は、山にいる時は、この山がずっと続くと勘違いし、また今の恵まれている状態が当たり前になる。だから、収入に合わせて生活も変わるし、いずれ訪れる谷に備えて倹約しようと言う心もない。
反対に、谷に沈んでいる時、またこの状態がずっと続くと間違う。山も谷も、しばらくのことなのに、このまま変わらないと思うから、自暴自棄になったり、苦しさの余り途中で投げだしたりする。

■山高ければ谷深し

山に登っては浮かれ、谷に落ちては沈む。
考えてみれば、そんなことの繰り返しである。
これは、誰でも例外がないと思う。
例えば、我々が憧れる生き方をしている人たち。人生が勇気に溢れ、日々充実している。
ストレスに怯え、おっかなびっくり生きている我々とはまるで違う人に見える。
しかし、それは山の部分だけをうまく見せて、谷の部分を隠しているに過ぎない。
それらの人にしても、人知れず泥水を啜った過去があるはず。深い谷を経験したからこそ、高い山に登れたのだ。
「そんな順風満帆の人生ばかりじゃなかったんだよ。」
そう、しみじみと語る人が多い。
そして、深い谷を経験してきたからこそ、小さな苦しみではくよくよせず、勇気出して生きていける。小さい山や谷をいちいち気にしていないから、我々からはいつも輝いて見えるのかも知れない。
だが、山高ければ谷深し。
高い山に長く留まるほど、下った先の谷は底知れない。
その意味では、そこそこの山に甘んじていられる我々は幸せかも知れない。

■それでも、少しずつ進んでいく

山あり、谷あり。
谷に落ちる度、もう二度と谷に落ちないよう気をつけようと思う。
しかし、やはり山ばかりは続かない。
気がつけば、また谷に落ちて同じようなところに立っている。
思えば、20年前、30年前とどこが変わったのか。顔にシワが出来、お腹が出ただけのことでないか。
顔や体つきに老いが積もるので、周りはそれなりに扱ってくれる。しかし、恥ずかしながら、自分の中身は変わった気がしない。
果たして、こんなことで臨終まで行ってしまうのか、空恐ろしい気持ちになる。
それでも、多少なりとも前に進んでいると信じたい。
山谷を経験して、また同じところに立っていることに愕然とする。しかし、少しは変化があった。また谷に戻ったとしても、全く同じ谷ではない。谷は谷でも、1ミリでも高い谷底からなら、次はもっと高い山を目指せるはず。
目的をしっかり定め、山谷を経験しながら、時間がかかっても、少しずつでも前進したい。