今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

可視性の罠

(写真:名駅上空)

■間違わない世界

あと何十年かしたら、間違わない世界が来ると言われている。
間違いは、未来に対して「こうなるだろう」と予測した結果が、その通りにならない時に発生する。
例えば、今日は晴れるだろうと予測する。しかし、雨に降られてびしょ濡れになる。
ルートAを通れば早く着けるだろうと予測る。しかし、急に発生した大渋滞に巻き込まれて、いつもよりずっと時間がかかる。
それを、予測するより先に、答えを教えてもらう。今日は雨が降りますよ、とか、早く着きたかったらBルートに行ってください、とか。
どうして、そんなことが可能になるのか。
それを可能にするのは、機械学習という技術である。
機械、すなわち高性能のコンピューターに、過去の膨大な情報を与える。たとえば、温度や湿度、気流の状態や雲の動き。
これに今の情報を与えると、過去のデータと照合して未来の天候を予測してくれる。
現在これは気象予報士の仕事だが、機械がすることにより、人間では扱えないほどの情報を取り込んで、しかも人間では気づかない法則を導くことができる。これにより、気象予報の精度は格段に上がると言う。

■全て見えたら間違いはなくなるか

これを応用すれば、会社の売上も、市場の需要も、株価の上下まで全て予測できることになる。
今はまだ技術の黎明期だが、全人類のデータが一箇所に集約され、コンピューターの性能が格段に上がれば有り得ない話ではない。
かくして、全てが見える化する。
そうすれば、人類は間違わなくなる。
今は、良かれと思ってしたことが、後になって大きな問題になることがある。
理想的な建築素材と思われていたアスベストが、後年肺気腫の原因となって多くの人を苦しめている。
原発にしても、先行き不透明なままで、また途中で発覚した廃棄物処理等の問題に蓋をしたままで建設に突き進んだ結果、大きな社会的コストを発生させている。
後年間違っていたと言われるこれらの問題が事前に見えていたら、人類は間違う危険性を回避できる。
良かれと思った、その方向に間違いなく誘導して貰える、理想的な世界が訪れるかもしれない。

■見えるが故に、見えなくなるもの

その機械学習で、もっとも成果が期待されている分野の一つが自動運転である。
車にセンサーをたくさん取り付けて、車線や前方との距離、障害物を検出する。あとは、目的地さえ設定しておけば、車が勝手に目的地まで乗せて行ってくれる。後は、車の中で寝ていようが、漫画を読んでいようが好きに過ごせると言う技術である。
しかし、この自動運転には二通りの意見がある。一つは、Googleが考えているような、人間が介在しない全て機械まかせの自動運転。もう一つは、トヨタ自動車が提唱している、操作の基本は人間が行い、機械は危険回避等の補助的な役割をする自動運転。
現段階では、まだトヨタが提唱するような自動運転の方が感覚的に受け入れやすい。
エンジンをスタートさせて、目的地をセットしたら、後は全て機械まかせと言うのは、どうも信用しきれないと言う人が多いのではないだろうか。
同じように、例えば経営に関する数字が全て見えてしまった場合、果たして機械の計算通りに運営すれば間違いないのか。
機械に頼って経営をすると、どの会社でもベストプランは均一化してくるはずだ。しかし、経営とは相手の裏をかいて、シェアを奪いあってこそ成立する。つまり、必ず勝者もいれば、敗者もいる訳で、もし、機械が全ての企業を勝者に導いたら、それこそ矛盾だろうし、もし成立するならば、限りなく統制経済に近くなる。
つまり、どこまで行っても不確定要素は残るし、そこが見える化の裏に隠れて、むしろ見えなくなる部分である。

■可視性の罠

可視性の罠。
現代は、どんどん可視化を志向する。
なぜなら、我々にとって見えないことは恐怖であり、それゆえ科学はいろいろな謎を解き明かしてきた。
プロファイリングや性格診断と言うものも、相手がどんな人間か見えないことが怖いから、なんとか自分たちのカテゴリに当てはめて安心しようとする試みである。
しかし、可視化は受け取る側の都合に合わせて、単純なモデルへとクラス分けを志向する。カテゴリが少なければ、理解しやすいし、把握しやすい。
その中で、血液型診断なるものが考案され、広く世の中に広まった。複雑な人間のパーソナリティを血液型と言うA、B、AB、Oと言う4つの累計に無理やり当てはめて理解しようとした。その中で、いつも槍玉に挙げられ揶揄されたのはB型。B型の自分は、そのステレオタイプで見られたので随分迷惑した。
しかし、周知の如く、人間のパーソナリティが血液型と言う単純な類型ではカテゴライズできない。それ以外の経験や学問、才能に深く影響されるからだ。
しかし、単純な類型を示されると人間は、それ以外を見ようとしない。これは、可視化の罠であり、またレッテルの罠とも言える。
同じように経営の数字も単純化して見える化すれば、扱いやすくはなる。
しかし、それ以外の要素に意識がいかなくなるのはリスクである。
これから、ますます機械学習等の先端技術により、可視化、見える化は進むだろう。しかし、同時に数字に隠れて見えない部分を見ようとする意識が大切になる。