今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

楽園クリエイター

(写真:しじみあげは その2)

■ジブリ的世界観

スタジオジブリ黎明期に発表された宮崎駿作品では、空の描かれ方が非常に印象的だった。
「風の谷のナウシカ」では、主人公のナウシカはハングライダーのような小型飛行機で青空を自在に飛び回っていた。
続く「天空の城ラピュタ」では、まさに空の城ラピュタがテーマ。そのラピュタを求めて、敵味方に分かれて自在に大空中戦を展開した。
底抜けに青くて明るい空と、ボリューム感あふれる白い雲とのコントラスト。そして、果てしのない地平線と広大な大海原が、広くて自由な世界観を作りだしていた。
それは、見るもの皆んなを惹きつけ、開放感ある世界に誘う。まさに、我々世代が熱狂したジブリワールドである。

■楽園を作っている人たち

受験生であったり、将来に不安を抱えていたり、人との関係で閉塞感を感じていた我ら世代には、ジブリの世界はまさに精神の解放区であり、楽園そのものであった。
そして、そこに登場する主人公に自分たちの思いを仮託して、代わりに自由で満足した世界を生きてもらう。それを見る我々は、その気分の何分の一かでもおすそ分けをして貰おうとするのだ。
しかし、そんな楽園を作っている人たちは、どうだったか。
当時、宮崎駿監督が語っていたのを思いだす。
「制作室にこもって、ストレス抱えながら仕事しているんです。だからどうしても、広くて青い空に憧れるんですよ。」
正確ではないが、確かこのような内容だったと思う。
そして、それを聞いた時、「ああ、楽園はどこにも無いのだな」と分かった気がした。

■楽園と言うフィクション

アニメファンという人たちがいる。
確かに、我々は今でも、サンダーバードやガンダムに熱狂する面があるから、アニメファンの片割れには違いない。
しかし、コアなファンは、我々以上にアニメの世界観に自分の理想を投影する。コスプレでアニメの登場人物に扮して、その設定の世界に浸ろうとする。
果たして、それらの人が求めているのは何なのか。アニメの主人公の勇ましさ、格好よさ、可愛さへの同化なのか。
いや、自分はそうでないと思う。
今、目の前にある現実世界は楽しいことばかりではない。苦しみや閉塞感もある。孤独感や無意味感もある。
しかし、アニメの世界ではそれが描かれないことが多い。
笑っていても、心の中は何か醒めている人間の不条理や現実。いつかは自分も老いて死んでいかねばならない真実。それらが描かれない世界にベクトルをズラして、楽園的世界に身を委ねる。
現実逃避とは簡単には割り切れない。
矛盾的人間存在のアンチテーゼとして存在するのが、アニメ等の創作世界だからだ。
しかし、忘れてはならないのは、その世界を生み出しているのは、やはり我々と同じ矛盾に満ちた現実世界の人間。
いや、才能を求められる世界だから、我々以上に現実の壁や閉塞感を感じている。
我々はそうして生み出された創作世界の楽園に、しばし身を委ねて娑婆の憂さを晴らしているのだ。

■重荷背負うて遠き道行く

高校の頃、やらなければならないと分かっている受験勉強にどうしても手がつけられずに、閉塞感を感じていた時、「アルプスの少女ハイジ」等の世界観に強く惹かれた。
高校生にもなって、と呆れられそうだが、心を掴まれたのは、そこに描かれている自由で広い世界。そして自分と違い、くったくも、閉塞感もない主人公たち。
いつかあんな青い空の下に行けたら、自分もこのくったくから解放されると思っていた。
そして、異常に海外に憧れた時期がある。
しかし、やがて気がついた。
あれは創作なのだ、と。
もし、あのアニメの主人公が現実にいても、やはりこの人間が本質的に抱える閉塞感からは逃れられないだろう。
もっと言えば、どこに行っても、何をしても、人間存在が抱える苦しみは変わらない。
あの天下統一をした徳川家康にして、「人の一生は重荷背負うて遠き道を行くが如し」と言っている。
家康のように努力して環境や立場が変わっても、下ろすことができない重荷があるのだ。
それが分かった時、自分は今の自分と向き合うことを覚えた。
誰かに自分の心を仮託しても幸せになれない。自分が自分であるがままで幸せになる、それが人間の正しいあり方だと思う。