今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

気軽に意見して貰える有り難さ

(写真:橙色々一面)

■威厳のある人、ない人

威厳のある人って確かにいる。
その人に何か一言言われると、途端に何も返せなくなる。一個上だったが、学校の先生をしていた先輩がそんな人だった。
友達と気軽に軽口を叩いていたら、ボソッと「そう言うことは余り言わない方が良いよ」。
それで、「すいません」と謝って、後はひたすら口をつぐんでいた。
反対に結構強面や、口うるさい人でも、あまり威厳を感じない人がいる。
威厳のない人は損である。
同じことを言っているのに、威厳のある人には皆素直に従い、威厳のない人が口にすると殆どの人が反発する。
言われた方は、言われっぱなしが悔しいのだろうか、つい要らない一言が飛び出してくる。
注意をした方も、それでは形無しである。
かくて注意損を感じるから、威厳がない人の悩みは深い。
そして、自分も威厳のない側の人間である。

■年齢相応の威厳

自分は歳を取れば自然に威厳が身につくと思っていた。そして、周りからもある程度、敬意を持って接して貰えると思っていた。
しかし、どうやら年齢と、そんなことは関係ないようだ。
自分より歳が10も下の後輩に対してキチン対応しているクセをして、自分にはタメ口をきく人がいる。別にそれに対して文句を言うわけではないが、正直自分と言う人間の軽さにへこむ。
威厳、人によってはオーラとも表現する、それは社歴や年齢とは関係がない。責任持って人生を生きている人には、それなりの威厳が備わる。あまり深く考えずに自儘に生きている人間は、見た目も軽い。
なるほど、40過ぎたら男は自分の顔に責任を持て、とはこの事か。
威厳やその人間の重厚さは、年齢で決まらない。彼の生き方が表面にも現れるのだ。

■気軽に意見して貰える有り難さ

しかし、ものは取りよう。
気軽に意見を言って貰えるのも、考えようでは利点である。
我々は、威厳があって重厚な人の前では本音を隠す。そして、どうしても取り繕って、良いことばかりを言う。ましてや、不満や直して貰いたいことなど、畏れ多くて口にできない。果たして、その人自身は立派なのに情報からツンボ桟敷に置かれて、裸の王様になっている状況を見聞きする。
しかし、自分にはそんな心配は要らない。相手が気を許して、結構言いにくいことまで喋ってくれる。時に、腹の立つ内容も含まれていてムッともするが、敢えてそれを表に見せずに機嫌よく聞いてやると、「ここだけの話」が結構飛び出す。
特に、自分が周りからどう見えているか、と言う情報は大切である。
都合中心で口さがないないものとは言えど、人の評価は参考になる。うまく付き合って、聞くべきことを正しく選べば、自分を省みる良い機会となる。

■ものは取りよう

長所は短所、短所は長所と言われる。
臆病と言えば短所、慎重と言えば長所。
短気と言えば短所、正義感が強いと言えば長所。
日和見と言えば短所、策士と言えば長所。
なるほど、皆して褒むる人もなく、皆して謗る人も無しである。
威厳があることは、もちろん長所である。
影響力も発揮できるし、人を動かすこともできる。発言も重いので、リーダーシップを取ることができる。
反面、皆んなが少し距離を置きがちだから、フラットでの付き合いの機会が少なくなる。
悩みを聞くのも、ちょっとスペシャルな感じ、そうしょっちゅうだと相手も疲れる。
対して、自分のような威厳のカケラもない人間。
軽さが短所だが、気安さが長所。
頼みやすい、相談しやすい、言いやすい、すなわち奉仕型、サーバント型なんだと思う。
そして、人を威服させる成熟の仕方もあれば、人を安心させる成熟さもあっても良い。
自分は後者だ。
リーダーには向かないけれど、そんな自分なりの歳の取り方が出来れば有難い。