今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

不器用さと深み

(写真:空一杯の綿菓子)

■不器用ですから

高倉健さんのかつてのCMでの決め台詞。
「不器用ですから・・・。」
グッとくる。
こんなに堂々と、「不器用です」宣言をする人もいないし、また不器用さを格好良く言える人もいない。
日本の「男」を感じる。

■器用さ、不器用さの定義

我々は寧ろ不器用さを隠したい。
博識な人、なんでもできる人に憧れるし、自分もそれに近づきたいと思う。
また、人からはそんな器用な人と思われたい。また、不器用と言われると落ち込みもするし、腹も立つ。
でも、器用さ、不器用さとは何だろう。
今なら、最新の電子機器やソフトを難なく使いこなす人。あるいは、人が10かかる仕事を5や6でやってのける人。
また、意志の伝達が上手くて、多くの人間を束ねられる人。
今若くしてマスコミの寵児になる人が、そう言われるかも知れない。
対して、不器用さは、器用の反対である。
新しいものが苦手で、コミュニケーションも得意でない。一つことをコツコツとやり続けることによってしか仕事ができない。
もちろん、時間もかかる。
現代社会では、あまり評価されないタイプだが、そんな不器用な人間が世の中を支えている面もある。

■本来男は不器用である

本来、男とは不器用な存在だと思う。
有史以前は、男は外での狩猟を生業とした。
もちろん、共同で狩りに当たることもあるが、主に求められるのは、強靭な肉体と、腕力、そして身体能力である。
その意味では、男が長い年月をかけて育んできた能力は単一的であり、高める方向が直線的である。また、直情的でもある。
対して、女性は男の留守に家族を守り、子供を育てる。家族と言っても一族を指すから、一つのコミュニティである。
その中で、細々とした多くの仕事をこなすスキルを身につけ、コミュニケーション能力を育む。
今日でも、女性同士一緒にしておくと、すぐに仲良くなり、男同士ではそうならないのは、女性のコミュニケーション能力の高さ故である。
しかし、こう見て来ると、近代社会において求められる器用さ、コミュニケーション能力は女性の領域である。
男が長い間、DNAに書き込んできた特性とは、現代では不器用さに分類されるのかも知れない。

■不器用さと深み

高倉健さん自身は一流俳優だから、本当は不器用に分類される人ではないだろう。
しかし、氏の持つ雰囲気や、板についた役柄が、不器用で、かつ好もしい日本人を想起させる。
そう、昔日本の男は不器用だった。
直情的で、気持ちが高ぶると、すぐ剣にかけてとか、命に代えてと口にする。
特攻隊も、本来悲惨で非人間的な戦い方だが、それを戦術として選択させた土壌は、不器用で生真面目、ある意味直情的な国民性故だろう。
それが、高倉健さんの後期の代表作「鉄道員(ぽっぽや)」に描かれた日本の不器用な男性像に通じている。
北海道、廃線間近なローカル線で、竈焚きから叩き上げ、鉄道員一筋の人生を送った乙松。田舎のローカル線を守るために、幼くして亡くした娘の病床にも、早くに亡くした妻の臨終にも寄り添うことができなかった。
そして、その職場は彼の定年と時期を同じくして廃線となる。まさに、鉄道員に生涯を殉じた主人公である。
もっと楽な生き方もあるだろう。
都会に出れば違う人生の選択だって出来たろう。
しかし、仕事に精魂を打ち込む姿は、不器用と称されるより、口で言えない人生の深みを感じる。そう、不器用さ、愚直さは、突き詰めれば、深みを醸すのだ。
自分も、不器用さを揶揄される人間である。
しかし、高倉健さん演じる役柄のような愚直な不器用さは持っていない。
それは、損するのが嫌だからである。
しかし、器用な生き方が出来ないなら、損得に囚われず、ひたすら不器用な生き方を貫くのも良い。
おそらく、それは人に真似のできない深みを人生に生む。