今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

価値があるが故に理解されず

(写真:風の花)

■ある支援者の話

よくある話。
お金に恵まれている人が、知り合いの画学生たちを支援していた。
彼らの絵にいくばくかのお金を支払って購入すれば、苦学生の生活の足しになる。
そんなことを何年か続けているうち、彼らの絵を大量に所有することになった。
ところが後年、彼らの絵が高い評価を得て良い値が付くようになった。それに伴い、支援者の所蔵していたたくさんの絵も、とんでもない宝の山になったのだ。
かくして、苦学生たちは支援者の恩に報いたと言う。

■価値を知らぬ人

まさか、そんなことになるとは思わなかった支援者。
割と気前よく、自分の購入した絵を人にあげていた。
しかし、少し前衛的な要素のあるその絵、芸術的価値を理解しない近所のおばさんは、せっかく貰った絵を焚き火のついで燃してしまった。
「えっ、今でも持っていれば、百万の値がついたのに」
そう教えられた近所のおばさん、悔しがっても、もう後の祭りである。

■真の偉大さとは

本当に価値のあるものはどういう訳か、評価されるのに時間がかかる。
ゴッホにしても、ゴーギャンにしても、億の金額で取引されるようになったのは、彼らの没後である。
存命中は非常識人と世間の避難を一身に浴びた人が、現代社会では、歴史で最大の偉人と評価されている。
後年、社会現象を引き起こしたテレビアニメ、当時他局の作品と作風が異なっていたので、視聴率はさっぱりだった。
そのように、その時の評価と価値は別物のようだ。

■百年の知己

「百年の知己を求めて」
そう言う言葉を聞いたことがある。
自分のしていることの価値を深く信じている人にとって、今の時代の評価はあまり問題ではない。
時代が自分を理解するまで追いついていないのだ。しかし、百年後には「あの時代、こんなことをした人がいた。偉い人もいたもんだなあ」と仕事の価値を理解する人が現れる。
だから、百年後に自分を本当に理解してくれる人、すなわち知己を求める。
自分の仕事に対する物凄い信念がある人である。
ともすれば、流行っているとか、遅れているとか、注目されているかどうかで騒がれたり、騒がれなかったりする昨今、それくらいの信念を持って仕事ができれば、どんなに良いだろう。