今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

相手の腹に入ること

(写真:赤の鉄橋)

■承服しかねること

想定していた以外のことで叱られたり、あるいは想定以上のことを要求されたり。
こちらはある程度頭の中で、組み立てていたのに、自分以外の理由でぶち壊される。
そんな時、気持ちの中では「承服しかねる!」と強い感情がわき起こる。
年とともに柔軟性がなくなってきたのも原因だが、本来人間は計画性の生き物だし、想定を壊されると著しく感情を害する。
例えば、いろいろな想定外がある。
身近なのは、ミーティングの開催時間の延長。ある程度、業務だから仕方ないと割り切ってはいるが、いつも一時間、二時間平気で延長する。その延びた分、他の業務に影響するから、参加者はさぞ困るだろう。それとも、それを最初から織り込み済みで参加しているのか。
最初から予定時間と、最大延長時間を決めて臨めば、タイムテーブルを意識するから、ずっと効率よく進められるだろうに。

■致し方なきこと

それでも、社内ならまだ良い。
もし、外部の人間(例えば顧客とか)に参加して貰う場合、時間延長は著しく気分を害する。おそらく、二度と参加しないだろう。
だから、社外イベントの場合、どこでもそんな愚は犯さない。途中に延長しそうな講演者がいても、ちゃんとズレを吸収できるよう、主催者側で調整可能な時間帯を設けている。
それは、講演がつまらないこと以上に、時間が延びることが、参加者の気分を損ねると身に沁みているからだろう。
だが、想定外のことが起きても、それをグッと飲み込まねばならないことがある。
一つには、不可抗力によるもの。
遠方のイベントで、現地まで移動するのに、お金も時間もかかった。無事に現地入りして、さあ明日はイベントだと期待を高めていたところ、主催者から「明日は天候の都合で中止です」と告げられた。「ここに来るまでにかかった経費をどうしてくれる!」と腹が立つが、もちろんそう言うことは分かっていて参加申し込みをした。怒りのぶつけようもなく、ただ飲み込むしかない。
あと、事故や天候による列車の遅延や、飛行機の欠航。そのため、寒い駅や空港で夜明かしすることもある。
だがそんな時も、利用者はあまり文句を言わない。さすがは日本人、と感心する。

■目線の違い

あと、致し方ないと思う二つ目が、目線の違いが際立っている場合。
これにも、二通りある。
まず、自分に対して相手がかなり未熟な場合。
この人なら、当然ここまでやってくれるだろう、と期待していたのが裏切られる。
もちろん文句も言うし、叱りもする。
しかし、相手は自分の不出来さを自覚していない。自分のレベルをさも当然のように思っているから、話が通じない。
たまに、社外の人でもいる。
延々と自己弁護と、責任転嫁をする。発注関係にあるならまだしも、お互い直接お客さんから委託されている場合は、こちらに強く出て、お客さんに少しでも良い顔をしようとする。だから、言っても無駄と判断して、お客さんに頼んで叱りつけて貰う。
あるいは、まずは相手の目線に降りて行って、言い分をよく聞く。
一度、相手の腹に入るのだ。
そうすれば、相手も譲歩して情報を出してくれたり、提案をしてくれる。
仕事とは言え、相手も感情の動物なので、理屈だけでは収拾できない。

■未熟を未熟と知る為には

目線の違いの二つ目は、相手に対して、自分がかなり未熟な場合。
相手の期待を満たせなかった時、当然厳しく叱られる。
しかし、こちらからすれば、「えっ!そこまで!」が正直なところである。
自分としては、ちゃんとやっているつもりなので、そこにダメ出しされると反発心しか起きない。
それを素直に表に出してしまい、呆れられたり、じっくり諭されることが度々あった。
前段の、完全な間逆である。
しかし、後味が悪いから、その後ゆっくりと反省してみると、自分の至らなさばかりが思い知らされる。そうやって、少しずつ目線を上げるのが成長なのかも知れない。

ただ、間違いないことは、自分が自分の良識であったり、常識に固執しやすいことと、そこから離れないうちは、人との軋轢は無くならないこと。
だから、ある意味、イエスマンに徹するのも大切だろう。なんでも、まずは「はい、分かりました」と言う。つまり、まず相手の腹に飛び込むのだ。
どんな相手でも、開口一番、自分を否定されるのは嫌なものだ。一度肯定され、その上で、問題点に対する質問や提案をされるなら、まだ聞く耳あるだろう。
相手の腹に入る目的は、自分の常識を離れること。そして、相手が相撲を取りやすい土俵で、安心してこちらの言い分に耳を傾けて貰うためである。