今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

自分によって仲間が集まり、仲間によって自分の価値が決まる

(写真:黄昏に一直線)

■会社の目的

自分は会社員である。
その会社とは、一言で言えば、共同作業をする器である。
そして、作業の内容は、利益を生み出すことであり、自己実現をすることであり、社会貢献をすることである。
社員が一堂に会して、共同で作業をする。
もちろん、テレワークが導入されていたり、パーティションで周りと隔絶されていたり、あるいは、外回りの営業マンや、トラックドライバー、タクシードライバーなど、基本一人でする仕事もある。
しかし、会社に人を集めることの本質は、共同で作業を行い、1+1を、和の2ではなく、3にも、4にもするためである。
和が2で良ければ、期間労働者に、賃金に対して決まっただけの労働をして貰えば良い。
だから、トラックドライバーでも、点呼があり、ミーティングがあり、教育があって、会社としての情報の交換の機会がある。
品質の均一化や、生産性向上のための取り組みも行われている。

■セクション化

しかし人間とは、やっかいなもので、二人揃えば、なんとなく力関係のようなものが生まれる。
すなわち、リードする人間と、リードされる人間である。それは、経験、スキルだけでなく、その人間の特性にもよるであろう。
他人について行った方が楽、そういう人は、進んで風下に立ち、貢献欲求、承認欲求の強い人間は、風上に立って進んで風除けを務める。
風上はシンドイけれど、言わばステータスであるし、風下の人間に影響力を及ぼしたり、指示する権限を手にすることもある。
そんな流れで組織が形成され、人間に序列が生まれ、権力へと育つ。
そして、これは組織の大小に関わらず、発生する構造である。
自分が見聞したのは、地域の行事でやたら張り切って子供達に檄を飛ばしているおばさん。あれも、一種の権力者だと思う。
そして、風上に立つ人間は、どうしても自分の作った権力構造を大切にする。
そこから、セクショナリズムが発生する。

■セクショナリズムの功罪

このセクショナリズムは、特定の人員で、特定の業務を行う際に効率化をもたらす。
すなわち、効率化、先鋭化は、狭い範囲で磨いた方が、より短期間に進化するし、また深堀りもできる。
言わば狭いが、とても収穫の高い畑である。
徹底的に、掘り起こし、肥やしを与え、水をふんだんに与え、土壌の改善をする。
だが個別最適化し合った組織は、側から見ていると、時に非常な不合理を生んでいる。
行政の縦割り組織がその良い例だろう。
同じような機能を、二つの機関が持っている。そして、お互い利用が広がらないとか、予算が確保できないと言う。
しかし、二つの機関で機能分化すれば、より少ない予算で多くの人にサービスを提供できるのに、なかなかそれが難しい。
あるいは、目指している方向は同じなのに、互いのコミットを待っているから、睨み合いのまま時間だけを消費しているとか。
第一人者を出しあって、ワーキンググループを作れば良いのにと、勿体無く思う。
しかし、基本、人間も他の動物同様テリトリーを守る生き物なのだろう。そのDNAに擦り込まれた縄張り意識が、国家、県、市、町、業界、企業、部、課と言ったセクション意識に変容する。

■自分によって仲間が集まり、仲間によって自分の価値が決まる

セクショナリズムの根源には、今自分が手にしている既得権益への執着心があると思う。
それは、お金や利権だけでない。
特定の範囲の中では、高いポジションを保つことができる。そこに、外部から人を入れてしまうと、自分のポジションが揺らいでしまう。
まるで外国人労働者を、国内産業の従事者が排除する話に似ている。
しかし、自分のテリトリーに固執する余り、外部の情報を遮断していたり、あるいは、仮初めの慢心を満たしたいばかりに人との交わりを断っているところ、充分個人レベルでも、小グループレベルでも、問題の根は同じだと思う。
対して、今はオープン化、グローバル化の時代。
外界を遮断して、特定のエリアで作り上げた自分の価値に固執しようとしても、周りの状況が許さない。
組織を構成するメンバーに外部の情報は流入するし、そこで一人旧来の考えに固執すると、逆に自分のセクションから放逐される。
そう、「アラブの春」のようなことも発生する。
あるいは、きちんと内部統制できても、気がつけば周りと酷い差がついていて愕然とする。また、せっかく使える周りのリソースを使わないこと自体リスクである。
だから、これからはフットワークが大切だと思う。
個人レベルであったり、コミュニティレベルであったり、とにかく外部との情報の交流と、協力体制の構築に努めて動く。
今までは、自分の価値を、自分自身の特定のテリトリーの中で作り上げていた。
しかし、これからは外部とのつながりで、自分の価値が決まる。
人を集めるのも自分ならば、それで集まった仲間によって自分の世界が広がる。
そして、仲間で自分の価値が決まる、そんな時代である。