今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

誰もが全ての値段を知っている、けれど誰もがその価値を知らない

(写真:逆向きの「ハ」)

■フランクリンの教訓

かのベンジャミン・フランクリンがよく語っていた逸話がある。

幼少のフランクリン少年は、ずっと笛が欲しくてならなかった。そして、ある時お小遣いとして、銀貨5枚を貰った。
フランクリンは、上気して銀貨5枚を握りしめ、楽器店に駆け込んだ。
「すみません、笛をください。」
「坊や、幾ら持ってる?」
「銀貨5枚持ってます。」
「なら、いい笛が買えるよ。」
そう、やり取りをして、フランクリンは笛を一本買って帰った。
そして、家に帰って得意満面、兄たちの前で笛を吹いて見せた。
「お前、その笛を幾らで買ったの?」
兄の一人の問いかけにフランクリン少年は、
「銀貨5枚で買えたんだよ。」
と素直に答える。
しかし、兄は、
「馬鹿だなあ、お前。それ位の笛ならば、銀貨1枚でもっと良いものが買えるんだぞ。」と呆れたように言った。
その一言で、得意になっていた気持ちが一気に冷め、フランクリンはすっかりしょげ返ってしまった。

■高く買いすぎる

しょげてしまったが、フランクリンはこのことを深く心に刻むことになる。
「人間、ものの値を知らないと高く買いすぎることになる。」
それ以来、高価な装飾を身につけている人を見ては、「あれは、宝石の値を高く買いすぎている人だ」。お酒を飲んで騒いでいる人を見ては、「あれは、お酒の値を高く買いすぎる人だ」と生涯の戒めとしたと言う。
フランクリンが値と言ったのは、値札のことではない。
そのもの自体の持つ価値のことである。
お金に恵まれている女性がつくづく語ったことがある。
「商売をやっている頃は、お金に余裕があったので、毎年春と秋に何十万も出して着物をしつらえていたのよ。でも、どんな着物も、一度か二度袖を通せばそれでお終い。年が行くと、派手な柄ものは着られなくなるし、タンスの肥やしになるだけだわ。今思えば、何のために苦労して働いて、それで儲けたお金を使っていたのかしら。もったいなかったわね。」
価値とは、そのものがもたらす、喜び、幸福感と言える。しかも一時ではなく、生涯価値で考えなくてはならない。
着物を着て、一時嬉しかったかも知れないが、季節が巡るとタンスの肥やしになる。むしろ、重荷になる。
いっそ捨てればスッキリするのに、それができないのは、無駄なお金を遣ったと認めるのが怖いからである。

■命で贖うもの

これは、知り合いのMLで教えて貰った話。
新しく事業を始めた人に、先輩の大経営者が語った言葉だと言う。
曰く、
「欲しいものは全部買ってしまえ」
事業を始めて大切な時期、むしろ、質素倹約を旨とすべきところ、「全部買ってしまえ」は乱暴に聞こえる。
しかし全部買って、それで分かることがある。
それは、どんな凄いものも2年も経てば飽きると言うことである。
それが分かるとモノに囚われずに、人生で本当に大切なものに集中するようになるそうだ。
確かに、モノはお金で買う。
しかし、本質はモノを命で購っているのだ。
なぜなら、お金を稼ぐには時間が必要である。その時間とは、すなわち我々の命の切り売りである。
例えば、5万円のものを買う。
5万を、給料の4分の1だとする。ならば、月の稼働150時間の4分の1、つまり38時間弱、日数にして1日半を、そのモノの対価として命で支払ったことになる。
フランクリンが、高く買いすぎると言ったのは、そのものから得られる価値、喜びが、命を費やしたことに釣り合っているのか、と問うているのである。

■値段と価値

モノを買うと、費やすのはお金をばかりでない。
分かりやすいのは、時間である。
映画館へ行って新作映画を見る。
ところが、非常に残念な映画で、見てガッカリ感しか残らなかった。
さて、それで失ったものは何だろう。
まず、チケット代、そこへ行くまでのガソリン代と、駐車料金。飲食のお金もあるかも知れない。
そして、映画を見るために費やした上映、及び移動のための時間、約半日である。
だから、我々がつまらない映画を見て腹がたつのは、ひとえにお金を損した怒りばかりではない。
あと、インスタント食品や嗜好品。
確かに、お金と時間を節約して、一定の満足が得られるから得をしたとも言えようが、同時に健康と言う資産を消費したことも忘れてはならない。これは、ともすれば命を縮めかねないので、命の時間の消費量は馬鹿にならない。
知恵の浅い自分は、どうしても一時の喜びに流される。しかし、生涯価値を考えたら、今買い、食べ、消費しているものは相当改めねばならない。
フランクリンの幼少期の教訓を心に刻みたい。