今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

先送り器官

(写真:富士市通過中 その2)

■ドン・ガバチョの歌

「ひょっこりひょうたん島」と言う子供番組をご存知だろうか。
スタジオジブリのアニメでも取り上げられたので、名前だけは聞いたことがあるかも知れない。
そして、もしリアルタイムに見たことがある人なら、私と同年代か、それ以上だと思う。
その「ひょっこりひょうたん島」には、多くの特長あるキャラクターが登場するが、中でもドン・ガバチョは、ひょうたん島の大統領にして最も記憶に残りやすい人物てある。
そのドン・ガバチョが劇中で「明日を信ずる歌」と言う歌を歌っている。

『明日を信ずる歌』(2番)
作詞:井上ひさし、山本護久
作曲:宇野誠一郎
♫今日がダメなら明日にしまちょ
明日がダメなら明後日にしまちょ
明後日がダメなら明々後日にしまちょ
どこまで行っても明日がある ホイ
ちょいちょーいのドンガバチョホイ

■面倒臭いことは見なかったことに

なんとも、不道徳な歌である。
ここまでアッケラカンと先延ばしを正当化されては、親として子供に示しがつかない。
しかし、これを国営放送が子供向けに放送して聞かせていたのだから、流す方も聞く方も、そこは了解済みだったと言うことか。
ただ、この歌を聞いた経営者が、一家心中を思い止まったエピソードもあると聞く。そうすると不道徳と一言では片付けられないし、反面教師と見れば薬にもなる。
それにしてもこの歌は、身につまされる。面倒臭いことを見なかったことにして、ズルズルと先延ばししている自分が思い出される。
すぐ判断できて片付けられることなら、たちまち処理するが、気の重い報告や、難易度の高い対応が絡んでくると、どうしても表を裏返して机に積むことになる。
一応、自分の中ではそれなりの理屈がある。
「今は時間がないし、失敗したくないから、もう少し時間をかけて処理しよう。」
ところが、裏返した瞬間から、その案件は心の隅に追いやられる。
まるで、嫌なものを見なかったことにして、また、そおっと蓋をするようなものである。

■いずれ火を噴く、火事となる

しかし裏返していて、それで済むかといえば、残念ながらそうはならない。
単なる先延ばしは、いずれ火を噴くのは明らかである。
例えば、お客さんから上がってきたトラブル報告。でも、自社製品でなくて、仕入品が不具合を起こしている。
そんな時、販売から仕入を引いた僅かな粗利の為に、延々と対応の悪い仕入先とやり取りするのは億劫である。
そこで、ついつい放置をする。
しかし、しばらく経った時、お客さんがカンカンになって電話をして来た。
「今まで、長い間取引をしてきたにも関わらず、こんな雑な対応をするような所とは契約を見直すしかない!」
さっと、青くなって担当者を訪問する。
上司にも頭を下げて同行して貰い、さらに高価な手土産を持参する。
結局、それで手間も、経費も早目に対応した場合の何倍もかかってしまう。
こんなことで、自分の仕事を増やしてはいないだろうか。

■先送り器官

すぐにやれば良いのに、ついつい面倒がって先送りする。
夏休みの宿題に手をつけないで、最後に青くなる学生だけのことではなかろう。
会社でも、抜本的な改革を怠って、半期、今期を食いつなぐことばかり考えていたら、早晩行き詰まって大規模なリストラを行うハメになる。
国政を担う国会だって同じである。
あれよあれよと今年度の予算が積み上がる。
それは取りも直さず、日本の将来に多額の借金を積み増していることに外ならない。
とりあえず、今年度だけ、自分の任期中だけと、国民の納得感のないまま、財政の問題が先送りされる。
しかも、その感覚が国中で麻痺しかかっているのが恐ろしい。
地球温暖化、福島の原発、1日先送りすれば、1日リスクが高まるのに、現場の懸命な努力とは裏腹に、臭いものには蓋をしろとばかりに、意識の隅に追いやって仮初めの安心感を得ようとしている。
この命はどうだろう。
あれよあれよと、親の亡くなった年齢に近づいている。
果たして、終焉の準備は万全か。
よもや、よもやで日を過ごしているのではなかろうか。
我々は、先送りをする生き物である。
脳の中か、体内に先送りをする器官が存在する。
よほど心しないと、そのまま、いざ事が起きて臍を噛むまで行ってしまう。
ドン・ガバチョは反面教師なのだ。