今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

玄関で車を擦る話

(写真:実り間近)

■免許取り立てのころ

今はバックカメラもあるし、少しは運転にも慣れている所為か、車を傷つけることはなくなった。
しかし、免許を取ってしばらくは、よく車をぶつけては傷モノにしていた。新車を買って喜んでいるのも束の間、3ヶ月も経たないうちにバックで下がりすぎて後ろをヘコませたり、あるいは、横腹をフェンスに擦ったりと、随分車には気の毒なことをした。
そして、思い出してみると、車を傷つけるのは大抵自宅周辺である。
特に玄関先が多かったように思う。

■気が抜ける時が一番怖い

何故、家の周辺や、玄関先でよく車を傷つけるのか。
それは、やはり家の周りの気安さからだろう。「やれやれ、ここまで来れば大丈夫」、そう気が抜けるからだと思う。
それに長い間、気を張って運転してきた疲れも手伝う。
そして、ガチャン、「ああ、やった」となる。
ここまで安全に帰って来て、あと少しだったのに、最後の最後、玄関先でぶつけて、せっかくの旅の思い出が台無しになる。
旅の楽しい思い出が、玄関先での嫌な事故で上書きされる。なんと勿体のないことだろう。
家が見えてから、車庫に無事に車を納めるまでが魔の時間である。

■木登り名人の指導

吉田兼好の徒然草にこんなエピソードがある。
ある時、兼好法師が木登り名人の指導を見分した。
弟子を木に登らせて、側で名人がジッと見守っている。ところが、見ているだけで弟子になかなか声をかけようとしない。
やがて、弟子がそろそろと木を降り始めた。そして、ここまで降りてくれば大丈夫と言う段になって、初めて名人は弟子に声をかけ、いろいろと細かく指導を始めた。
「この高さなら、そのまま飛び降りても大事なかろうに」
そう奇異に思って、兼好が名人に不審を問うと、彼はこう答えたと言う。
「木の上に登っている時は、これは落ちたら大怪我をすると思うから、自然に慎重になります。しかし、下の方に降りてきて、これでもう大丈夫と思う時が一番危ないのです。しくじって大きな怪我をするのは、大抵下に降りてきた時です。だから、さほど危なそうでない時こそ、よく注意させるのです。」

■九十里は百里の半ばなり

だから、九十里は百里の半ばなり、と言われる。
百里、現代なら400キロメートル。東京から岩手の盛岡市くらいの距離である。そんな長い旅をして、あと40キロメートル、徒歩でも1日、2日の距離まで近づいてきた。
自然に気も緩んでくる。しかし、ここでのしくじりが一番多い。だから、あと40キロメートルでも、まだ半ば、つまり200キロメートル地点くらいと思って気を張りなさい、と言うことである。
例えば、大きなプロジェクト、9分まで進んだと言うことは、もう導入、稼働の段階だろう。システムの仕事なら、この段階が一番難しいのは身に沁みている。
料理なら最後の盛り付け。油断をすると、フライパンから移すときに、形が崩れて悲しい思いをする。
社会人ならば、あと数年で退職の時期。無難に過ごして、退職金を貰おうと思っていたら、リストラに遭い、全て計画が御破算。
最後の最後で失敗が多いのは、経験上身に沁みている。ならば、今が終盤であることと、しくじりやすいことを意識すれば、かなりの失敗を回避できるはず。
要は、最後の最後が肝心である。