今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

いつかできることは、今日できる

(写真:パープルビーズ)

■影踏み

影踏み遊び。
子供の頃、友達の影を追いかけて走ったことがある。
時には、自分の影を踏もうと追いかけた。
自分の影を踏もうと思えば、太陽を背にして駆け出すことになる。
ところが自分が進めば、影も進む。
追いかければ追いかけるほど、自分の影は逃げて行く。
100メートル走ろうが、200メートル走ろうが変わらない。結局、どんなに頑張っても、自分の影には追いつけない。

■いい加減気がつこう

自分にも、いつか、いつかと思っていることがある。
いつか、こんな自分になろう、なりたい。
それは、目標とか、夢とか表現される。
時間は無情に経ってゆく。
若い頃しかできないこともある。
達者なうちにしておかなければならないこともある。
また、しておかねば、いざ事が起きたら後悔することもある。
「いつかはやらねばならないと思っている」
一様にそうは答えているが、
「じゃあ、何時?」と聞かれたら、何と答えるだろうか。
「そりゃ、50までには」
「えっ、もう50じゃん」
「じゃあ、そのうち」
「そのうちは何時?」
「そのうちは、そのうち」
「そんなこと言って、もう何年過ぎた?」
「・・・」
「それはしなくても良いことなの?」
「・・・」
もう、どれだけこんな会話を繰り返して来たか。
いつか、いつかは、明日になっても、明後日になっても、1年後も、10年後も、いつか、いつかである。
漠然とやらなければならない事だけ認識している。だが、「いつか」と言い換えている間は、その「いつか」は永遠に到来しない。
太陽を背に自分の影を追いかけているようなものである。
自分が進めば、影も進む。
時間が過ぎても、「いつか」は漠然と、近い未来のまま存在する。
いい加減にそのことに気づきたい。

■いつかできることは、今日できる

例えば、深い業務の知識を身につけたいとか、健康のためにもう少しスリムになりたいとか。
コミュニケーション能力向上のためにセミナーに通いたいとか。
別にできないことではない。
もし、メジャーリーガーになりたいとか、芥川賞を取りたいとか、100億円企業を作りたいとか、かなりハードルが高かったり、非現実的なことなら、「いつか」なんて言葉は使わないだろう。
やる気を起こして、然るべき努力をすれば、今でも十分かなうから「いつか」と言えるのである。
なら、それが自分にとって大切で、決して放置して良いことでなければ、今日できないか考えて見る。
「いつかできることは、今日できる」

■スイッチ!

「じゃあ、何時するの?」
「・・・」
「今でしょ。」
思わず若い頃のことを思い出してしまった。
自分が30近くなって、結婚適齢期になった頃のこと、周りから散々突かれているうちに、だんだんその気になってきた。
別に意中の彼女がいないわけじゃない。
「なら、プロポーズしたら?」
「いや、告白もできてない」
「しなよ」
「だけど、こんな俺だぜ。相手にして貰えるはずがない。」
「そんなの、ちゃんとするのを待っていたら、永遠にちゃんとなんかできるもんか。」
「だけど、せっかくだから、もっと成功確率を上げてから。」
「さっさと告白しな。その時は、精一杯作った自分でいいじゃないか。そうしたら、自分とギャップが生じるだろ?後は、そのギャップをどう埋めるか必死になる。」
「シンドイねえ。」
「そりゃそうさ。でも、多少しんどくても結婚する価値のある相手なんだろ?」
「そうだよな。」
本当に、誰かとこんな会話をしたわけではないが、心の中では反芻していたかも知れない。
時には、掛け値なし、今の自分でぶつからなけれればならないことがある。
いつか現れるすごい自分を期待していても、事は進まない。
今がその時と心を定めて進む。
心にスイッチを入れて、さもそれをして当然の自分へ持っていく。
繰り返そう。
「いつかできることは、今日できる。」