今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

優れた作品、自らの責任で描ききる

(写真:風雲急)

■漫画家と言う職業

この世にたいへんな職業は数あれど、漫画家はそのしんどさでかなり上位に位置するのではないかと思う。
まず、高いスキルが求められる。
絵描きやイラストレーターなら、絵を描くのが仕事。小説家や脚本家なら、ストーリーを作るのが仕事。
しかし、漫画家は、その両方をかなりハイペースでやってのけなければならない。
自分からすれば、絵を描くだけでもたいへんだし、ストーリーを考えるだけでたいへんなのに、しかもイラストのように一枚ものでなく、細かく割ったコマの一つ一つにびっしり描き込まなくてはならない。
さらに、それだけで人並みの生活をしようと思うとかなり狭き門である。
何10万人と言う漫画家人口のうち、何パーセントが雑誌に連載を持っているだろう。
もし、雑誌に名前が乗らなければ、我々にはそのような作者がいることすら認識が難しい。
それでも、狭き門を突破して、なんとか連載を勝ち得たとする。しかし、ワンクールで連載が終了する漫画家もたくさんいる。
我々会社員のように、仕事が自動で割り振られ、失敗しても何回もやり直させて貰える訳でない。連載期間に人気が振るわず、評価が得られなかったら、もう次がないのだ。

■漫画は作者と編集の共同作業

一度は連載をものにし、一定期間連載を続け、アニメ化までされた。
これは、全漫画家人口からすれば、相撲界の横綱にも等しい栄誉だろう。
しかし、その後が続かなかった。
お金も底を尽き、不遇のままで一生を送った人もあると聞く。
保証がないのも、漫画家と言う職業の厳しさである。

さて、自分は昔、漫画家とは彼自身の発想で漫画を描き、雑誌社に送って出版していると思い込んでいた。
しかし、赤塚不二夫氏のエピソード映像を見ると、編集者も泊まり込んで、一緒になってネタを考えている。
よくドラマに出てくる編集者は、作家が原稿を落とさないように監督し、出来上がった原稿を預かってくるだけの役目に描かれている。
しかし、さにあらず、他の漫画家の事例でも、編集会議と題して、モノづくりの段階から関わっている。まるで、編集者は漫画家の作戦参謀のようである。
昔、漫画家になるための選択肢として、出版社で漫画家の編集になる道もあると聞いたことがある。その時は、あまり得心がいかなかったが、確かに一流漫画家とストーリーの企画を何年もすれば、良い漫画が分かってくるのだろう。

■その評価は読書がする

そして、発表した作品の良し悪しは誰が決めるのか。
それは読者である。
子供の頃読んだ漫画雑誌は、作品の掲載順番がころころ変わる。それは、読者投票による人気順と連動しているのである。
人気の高い作品は巻頭を飾り、経費をかけてカラーで印刷して貰える。
人気が落ちてくると、雑誌の後ろの方に追いやられる。それで、次のクールは難しいなと、なんとなく分かる。ただ、ずっと巻末にいながら、長期連載を続けている作品もあったから、そうとばかりも言えないのだろう。
最初ばかりに面白い作品を載せたら、そこで読者は雑誌を放るので、巻末に広告を掲載しているスポンサーが怒るのかも知れない。中堅の実力派を、中ほどや巻末に配置して、バランスを取っているとも思われる。

■優れた作品、自らの責任で描ききる

とは言え、やはり漫画は作者の名前で発表する。
実名ではないにしろ、社会的に公開している名前を前面に出して、自分の世界観を世間に発信する。発信したら、波紋が起きる。波紋が波紋を呼ぶ。
歓迎する人、褒める人、怒る人、貶す人、馬鹿にする人、いろいろいるだろう。
時に、権威ある評論家から手厳しい批判を受けることがある。ネットのまな板の上に上げられて、散々ひどい中傷を受けることもある。なにより、読者の反応が一番怖い。
だが、一度出してしまったものは引っ込められない。
有名税とも言えるが、人の言うことをいちいち気にしていたり、腹を括っていない人間には務まらない仕事である。
ブログにコメントを書かれる度に、「ひどい悪口だったらどうしよう」といつもビクビクしている自分にはとても無理だろう。
優れた作品は、必ず問題提起をする。だから、それに対する批判も大きくなる。
しかし、それを恐れていては作品を発表できない。
自分の世界観を発信する。その批判には対する責任の一切は、漫画家自身にある。
そう、腹を括って自分の思いのたけをぶつけ切る。
大漫画家と言われる人の人生観は、彼の作品以上にドラマチックである。