今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

無駄な言い訳

(写真:シーズン・オブ・ブルーム)

■無駄な言い訳

言い訳はしない方が良い。
それは分かっている。
くどくどと自己弁護されても、周りの人にとっては正直迷惑である。
「『仕方なくこうなった』とか、『止むに止まれぬ理由で』とか、正直興味ないし。
それに、『大変だったねえ』と愛想笑いをするのは、正直疲れる。」
きっと、そんな風に思われている。
でも、よほど気をつけていないと、すぐに言い訳の押し売りを始める。
そして、言って後悔する。
(ああ、また俺、自分の価値を下げてしまったなあ)と。
でも、やっぱり言い訳をする。
情けない。

■出やすい時

いつも肩で風切って生きている振りをしているクセに、すぐにくどくどと言い訳を始める。
どうして、こんな情けないことをするのか。
思うに言い訳には、出やすいタイミングがある。
それは、自分に負い目がある時。
心に後ろ暗いことを抱えていて、いつそれを人から指摘されないかとビクビクしている時、その重圧に耐え切れずに、言われる前に予防線を張る。
例えば、自分ならこう。
ソファで少し横になるつもりが、そのまま寝入って朝になってしまった時。
「ちゃんと疲れが取れない」だの、「ソファが汗臭くなる」だの、「電気が勿体ない」だの、家内から怒られるのが目に見えているから、自分から切り出す。
「いやあ、昨日お酒が入ってしんどくてさあ、どうしても起き上がれなかったんだよ。」
そうして、ブスッとする家内の横を通ってシャワーを浴びにすごすご退散する。
素直に謝ればいいのに。

■自分を持つ

あるいは、会社に遅刻した時。
さすがに今は遅刻することはないが、昔は「今日に限って道がたいへん混んでまして」と上司に開口一番言い訳をした。
なぜ、「遅くなって済みません」と、相手の一番聞きたいことを最初に言わないのか。
言い訳なら、相手に理由を問われて初めてすれば良い。
それだけ、後ろめたいということなのだろう。だから、相手の心証を少しでも良くしようと、くどくどと言い訳をする。
しかし、逆の立場で考えたら、そんな失敗した理由より、その失敗をどうリカバリーするつもりかを聞きたい。
失敗は失敗。ミスはミス。
してしまった以上は仕方ない。取り返そうと思っても取り返しようがない。
ならば、立場が悪くなって、相手から叱責されても仕方ないじゃないか。
叱咤も、ペナルティも甘んじて受ける。
そして、どうしたらそのミスを取り返せるか考える。
自分の失敗だもの、相手に期待しても詮無いことである。自分のことは、自分でなんとかするしかない。
そこは、自分をちゃんと持つことである。

■大切なのは潔いこと

大切なのは潔いこと。
周りも気持ち良いし、自分も自分を卑下しなくて済む。
反対に、いじましく言い訳を言ってしまった時は、後々ずっと悔やむことになる。
一度、口から出てしまったら手遅れである。出したものは戻らない。
でも、言い訳は殆ど反射的に出る。
頭で考える先に出る。
頭の中では、言い訳をしたら後悔するのは分かっていても、そのセキュリティが働く以前に流出していまう。
まるで、身体に言い訳を言う器官があるのかとすら思える。
だが、非を認めて、一時は立場が悪くなっても、潔さを貫いた矜持はかけがえのない心の財産となる。
やはりいつも、無駄な言い訳を出さぬよう意識をする、と言うことか。
最初は、心に逆らって、口をつぐむフリでも良いかな。きっといつか本物になる。