今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

社会と会社

(写真:京都市祇園町他 その2)

■会社、ひっくり返せば社会

「会社」、英語では、company。
「社会」、英語では、society。
人が集まっていると言う点では同じだが、実態は完全に似て非なるもの。
明治期に、この和訳をした人は、同じ漢字のの位置をひっくり返しただけで、二つのことを表現した。
お見事と言うべきか、あるいは遊び心が効いていると言うべきか。

■会社での価値

会社とは、営利団体である。
会社の構成員の我々は、利益を上げ続けることを求められる。
なぜなら、一定以上の収益を上げ、その中から労働に対する対価を支払って貰うよう、契約を結んでいるからである。
もし会社が自分たちを雇っておく以上の稼ぎを上げられなければ、我々は解雇の対象となる。その人間を雇用しておくメリットがないからだ。
企業とは、我々が労働と時間と言う商品を売る市場を提供していることに他ならない。ある意味、ドライな取引きの場であってもおかしくない。
しかし、政府は、雇用者の身分を第一に保証するから、現実はこんなドライなことにならないし、会社も従業が少しでも高い成果を上げられるよう、手を変え、品を変えて腐心する。
また、家族的経営が多い日本の企業では、金銭の授受だけでは割り切って考えられない。
反対に、企業が従業員と雇用契約で定めた以上の賃金が支払えなければ、これも契約違反であり、経営は行き詰まる。
だから、企業は時として、行き過ぎた利益重視の体質に陥る。

■社会での価値

社会とは、言わば地域の住民によって構成される共同体である。
全員が税金と言う資金を提供して、それで公的機関を運用する。
警察、消防署、病院、そして学校、市役所等。
そこで目指している価値、それは安全、安心な生活である。
憲法により、すべての人間には安寧に生きる権利が保証されている。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」(憲法25条)
生まれつき障害を抱える人も、病気で働けなくなった人も、高齢者も、社会で相互扶助を行い、等しく人間らしく生きられることを保証する。
動物の世界なら、どんな最強を誇ったライオンも、病気や老いで身体がままならなくなったら、たちまち他の動物の餌食になる。動物の世界には、老後という言葉はないのだ。
しかし、人間には、いつまでも安寧に生きることが保証されている。
行き過ぎた介護とか、膨らむ医療費、あるいは生活保護費。遙かに税収を超えて、国の財政を破綻させ兼ねない。
いろいろ問題報道もされるが、この社会という仕組みの恩恵を思えば、なんとしても未来につながなくてはならないと思う。

■二局で語ってはならない時代

昔は、会社と社会は二極で語られた。
足尾鉱毒事件や、水俣病のように、企業活動が社会に悪影響を及ぼした。
強引な勧誘や、ブラック企業、明るみに出る偽装問題。ともすれば、会社と社会は相容れないものとみなされてきた。
その中で、労働者は自分たちの身を守るために労働組合を組織し、国も企業に対する規制を強化してきた。
一つには、雇用者の労働時間削減の流れであり、メンタルヘルスの維持である。
そして、コンプライアンスが企業活動の重要な要素になった。
例えば、トラック業界では、早く荷物を届けるより、法定速度をいつも守ることをアピールする企業もある。
これも偏に、マーケットの中心がもはや消費者だからだろう。
情報に自由にアクセスするスキルを消費者自身が手に入れた。目の前で5000円で売っているものをネットで検索し、遥か彼方の倉庫に在庫になっている3000円の商品を購入することができる。
ネットで検索し、ホテルでなくても、個人で宿泊サービスを提供する家に泊まることだってできる。
企業に情報優位性がなくなった今では、選択の主体は消費者であり、市場で一番力を持っているのも消費者である。
この世界では、会社も社会の一員としての参加を求められる。
偽装や情報流出で企業が存続の危機に立たされるように、会社が社会と対立することは命取りである。
今は、会社と社会が二極で語れない時代なのである。