今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

ピースシェルター

(写真:京都市祇園町他 その1)

■ピースシェルターとは

たまに、ネットを検索すると「ピースシェルター」と言う団体に行き当たる。
最初、平和団体かと思った。しかし、アニマルシェルターと言う名称もある。どうやら、動物愛護団体の一つのようだ。
さらに活動の中身を見ていくと、飼い主から捨てられた犬を引き取って、新たな飼い主を探すのが主な活動であるらしい。

昔、犬は人間の友達と言われた。
自分の子供の頃の体験では、人間社会に犬は溢れていた。
紐や鎖につないで、従属を強いているものの、飼い主は自分の飼っている犬には責任を持っていた。野良犬になって、勝手気ままに街をうろつく犬も結構いた。
また、たまに危険な野犬が出ると通報を受けて、保健所が捕らえに来たり、地域住民で罠を仕掛けて捕まえたりしていた。

■犬たちの生きづらい世界

しかし今、街の中を見渡すと、生き物は鎖につながれた犬と、猫と、そして勝手気ままに振る舞うカラスばかりである。
人間社会は、かくも苛烈に生き物たちを、自分の居住エリアから排除してきたのかと、うすら寒い思いがする。
そして、その人間と共存しているはずの犬ですら、すっかり生きづらくなっている世の中である。
まず、近所で犬を飼っている家は何軒あるだろうか。しかも、大抵は一匹で、たまにお座敷犬を二匹飼っているかな、と言うくらい。
野良犬、野犬の類いはすっかり見かけなくなった。
ならば、残りの犬はどこに行ったのか。
山の中か?
いや、山の中を車で走っても犬に出会うことは滅多にない。
人間が一緒に暮らさないと選択した犬たち、つまり飼い主のいない犬をたちは、やはり人間の手によって大量に殺処分されているのである。

■現代社会の闇

飼い主のいない犬たちは、どうやって発生するのか。
それは、飼っていた犬が子供を産んで、育てきれずに捨て犬にする。
転勤に伴い、飼っていた犬の処分に困って、保健所に持ち込む。
飼っていた高齢者が亡くなり、犬だけが取り残される。
彼らには、飼い主を持たず、自分たちだけで生きていく、すなわち野良犬になる選択肢はない。
行き場のない犬はすぐに保健所に送られ、注射や毒入りの食事で殺処分されるのである。
ピースシェルターの活動は、それら殺処分を待つ犬を引き取り、あるいは保健所の殺処分までの猶予期間に、新たな飼い主を見つけることである。
一部、行政からの支援も受けていると聞く。
彼らの目指すのは殺処分ゼロの社会。
しかし、それは、我々人間が作り上げてきた現代社会の闇を象徴しているようである。

■自分たちの業と向き合う

「飼っている動物を捨てるなんて、それは無責任な人間のすること」
あの時までは、そう思っていた。
しかし、自分が高校生の頃、家族のもとに一匹のメス猫が棲みついた。
可愛いアメリカンショートヘアで餌をやっているうちに、すっかり家に居ついてしまった。
ところが、そのうち見る見る腹が膨れて来たのだ。どうやら近所のオス猫に孕まされたようである。家で産まれては構わないので、家族中で中に入らないように気をつけていた。
だが冬のある日、そのメス猫が、脱兎のような勢いで戸の隙間から入り込んで来て、そのまま炬燵に飛び込んだ。
そして、どうしたろうと炬燵の布団を持ち上げてみると、なんと5、6匹の子供を産んでいた。
だか、そんな5、6匹も家で猫を飼うわけにいかない。猫屋敷になってしまう。
そこで、泣く泣く猫を一匹だけ残して、親と後の子猫は近くの山に捨てることにした。
その時、自分も都合次第で動物を捨てる身勝手な人間になったと思い知らされた。
幾許かの食料を与え、親子を一緒に置き去りにした。そして、なんとか生き延びて欲しいと思った。
だが、やがて親だけが戻ってきた。
後の子猫たちはどうしたろう、
思い出すたびに胸が痛む。
だから、今でも子供が動物を飼いたいと言っても良い顔ができない。動物を飼うことの残酷さを知っているからだ。
人間に依存させて、しかも、生きる権利のある個体を人間が選別する。
テロと聞くと、人間の深い怨念の闇を感じる。
しかし、現代に我々人間が作り上げた動物が生きられない社会。全人類が抱える闇の象徴のようである。
その業から逃れることはできないのでないかと背筋が寒くなる。