今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

イノセントマン

(写真:京都タワー night&day)

■無邪気な男

イノセントマン、無邪気な男、または子供っぽい男と訳せよう。
例えば、良寛和尚のような人だろうか。
逸話では、子供と遊ぶのが大好きで、ある時も一緒に隠れん坊をしていた。しかし、いつまで経っても見つけてもらえず、その内、当の子供たちは帰ってしまい、良寛一人いつまでも隠れていたと言う。
精神的に幼いとも言えようが、なぜ良寛の名前は今日まで残り、人の心を打つのだろう。

■基本は子供

大の大人、しかも和尚と言う名誉職にある人物が、自分の立場も弁えず、子供と遊び興ずる。
それを見て我々は、「何と愚かしい、気持ちが幼い」と笑う。
その反面、羨ましいと言う心もある。
本来、特に男は、精神的にはいつまでも子供である。確かに、仕事に打ち込んだり、車やお酒、ギャンブルなど、行動は子供とは違う。しかし、遊ぶものが変わっただけで、子供と本質は変わらない。
どんなに凄いと思って接する人も、感情が高ぶったり、あるいは、本音をポロリと漏らす時に、この人も間違いなく子供の部分を残しているんだな、と分かる。
ましてや、当の本人は深く自覚している。
「大人になれば、もっとしっかりすると思っていたのに、いつまで経っても自分は子供でないか。」
そう自覚するから、それを表に出さないように思いっきり背伸びする。
「大人だね〜」とか「子供だね〜」とか、すぐ言いたがるのも、男である。
きっと女性からは、「あんたら、全員子供や」と思われているに違いない。
そして、子供の本質を自覚しながら、その反対の行動をしたがる。
立派なことを言う。
難しいことを言う。
ヤバいヤツ、と思われることを言う。
だから、女性からは、男社会は片意地ばかりを張って面倒臭さいと思われるのかも知れない。

■飾らない、気負わない

自分自身、男性より、女性と話しをする方が楽である。
「はて、性同一性障害でもあるまいし、どう言うことだろうか」と思っていたが、こう考えてくると何となく理由が分かる。
つまり、男社会とは、お互い幼児性を抱えながら、それを隠すための精一杯の意地の張り合い、背伸び合戦だからだ。
相手も自分も、つい自分を大きく見せようとする。まるで、腹を大きく膨らませて、男性としての優位性を競っている殿様蛙のようでないか。
そして、自分に少しでも優位性があると、そこにつけこんで優越感に浸ろうてする。
しかし、女性相手なら、そんな気負いはいらない。割と素に近い部分で普通に接することができる。
女性には、そんな男のような気負いがないからだ。あるいは、自分が異性だからなのかも知れないが。
しかし、良寛さんの場合は、最初から飾りも、気負いも捨てている。
あれで、大人か、僧侶か、和尚かと言われても気にしない。
気にしているかも知れないが、それで行動を変えることはない。
そのままの、幼児性を抱えたままの自分で平気で生きているから、羨ましい。

■無邪気さとは自由でもある

イノセントマン、無邪気な男。
自分も自分の中の幼児性を隠しきれないタイプ。
いくつになっても、子供っぽいと言われるし、無理してちゃんとしようとすると、どうも空々しい。空気が抜けていくような空虚さがある。
人間歳を取るとだんだん子供に帰ると言うけれど、いっそそう言われる方が楽かな、と思う。はやく、爺さんになりたいと思う。
よく人に「自分はちゃんとできないんですよ」と悩みを打ち明ける。
すると、「ちゃんとできないところ、少しズレたところが強みなんだよ」と慰められる。
しかし、当の本人はなかなかそう思えないわけで、人とズレた自分が知らされる度に落ち込んでしまう。
だが、思えば30年近くもよく社会人が勤まってきた。しかも、もう終わりまで見えてきた。なら、今更ジタバタしても仕方ないかな、とも思う。
でも、幼児性が隠せないクセして見栄っ張りだから、イノセントマンになり切れない。
良寛さんのように無邪気に生きられたら、さぞ自由なことだろうに。