今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

ノコギリとカンナ

(写真:清水の大舞台 その2)

■ノコギリの主張、カンナの主張

ノコギリとカンナ、言わずと知れた大工道具である。
ある時、ノコギリとカンナが大工の現場で言い争っている。
「どうして、ノコギリは、いつも仕事が雑なんだ。お前の仕事は、いつもやりっ放し。ギザギザの切り口で放り出してあるから、いつも俺が苦労して後始末するんじゃないか」と
主張するカンナ。
対して、ノコギリは「お前のようにチンタラ、スイスイ仕事をしていたら、いつまで経っても家が建つまいよ。だいたいその小さな刃でどう木を切ると言うのだ」とやり返す。
どうやら、カンナはノコギリの仕事の雑さを責め、ノコギリはカンナの仕事の遅さを責めているようである。

■ノコギリの仕事

しかし、ご承知のように、ノコギリだけ、カンナだけでは家は建たない。
お互いに大切な役割があって、協力してこそ良い家が建つのだ。
では、ノコギリの仕事、カンナの仕事とは何だろうか。
まず、ノコギリの仕事は、木を寸法通りに切り出すこと。大きな刃でギイコギイコと、木をグイグイ挽いて、たちまち柱や板になる部分を切り出す。
ただ切り出した後は、多少寸法からずれていたり、切り口が粗かったりで、そのまま家を建てるのには使えない。

■カンナの仕事

対して、カンナの仕事は、仕上げである。
ノコギリが切り出した木を、寸法に合わせて形を整えたり、粗い切り口をなめらかにしてくれる。
小さな刃で、柱の表面でシャーッと滑って、薄くてなめらかな木屑を削り出す。そして、カンナが通った後は、素手で触っても棘が立たないようなツルツルした表面になる。
そうして、初めて家の柱として使うことができる。
だから、ノコギリの仕事は、最初に大きく木を切り出し、カンナの仕事は、その木を柱や板に使えるように仕上げをする。
いずれも大切な役割である。

■ノコギリとカンナを、ともに生かす道

逆に言えば、互いに生かし生かされている。
ノコギリだけでは、薪や焚き木を作るのには使えても、家を建てるのには使えない。
カンナだけでも、木を小さな刃で削り出していたら、いつまで経っても家は建たない。そのうち、施主は怒り出すだろう。
当たり前のことを何をクドクドと、怒られるかも知れない。
しかし実は、我々は自分たちの仕事場で、このノコギリとカンナの喧嘩を経験する。
ノコギリには喩えているのは、新しもの好きの人。あるいは、お客さんの夢にほだされる人。
会社での実績の有無しに関わらず、どんどん提案し、そして上手く提案が通れば仕事として受注する。
さて、社内でお客さんにしっかりしたものを提供したいと日々心を砕いている部隊は、今までやったことのない技術案件に頭を悩ます。「また、ノコギリのヤツ、安請け合いしやがって」と。
所謂、お客さんに間違いのないものを提供することを使命としている人たち、すなわちカンナである。
ノコギリは時流を無視して自社の技術に閉じこもるカンナに不足を鳴らし、カンナは結果を考えず、厄介ごとを持ち込むノコギリに文句を言う。
確かに、どちらの身になっても、言っていることはよく分かる。
だが、この組み合わせあればこそ、会社が上手く回っているのは間違いない。
ノコギリが多少粗くとも市場にどんどん切り込んでいくからチャンスが増えるし、技術が陳腐化しない。
そして、カンナがどんな案件でも、安心して提供できるレベルまで仕上げてくれるから、ノコギリも安心して提案できる。
お互い相入れないし、喧嘩も絶えないが、大切なパートナーなのである。