今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

何より先に終盤を学べ

(写真:京都下京区 その1)

■人生設計

平均的な人生設計。
30位までに結婚して、翌年には子供が生まれる。計画では、二人くらい。
55までには、子供たちも一人立ちするし、あとは老後資金を貯めながら60位まで今の会社で働こう。
退職後は、当面の生活資金が稼げれば良いから無理のないように働いて、年金受給年齢になったら、あとは悠々自適に老後を過ごす。
こんなところだろう。

ただ、漠然とは描いているものの、そのまま認めてしまうと、夢も希望もないような気がして、紙に落とすのはためらわれる。
しかし、なかなか計画通りにはいかず、結婚はできたが、子供が生まれたのは40過ぎ。おかげで、60過ぎたらのんびり、と言う訳にはいかなくなった。

■人生の行き着く先

だが、ハッキリとした人生の設計図を書かなかった理由は別にある。
人生と言う線表、その終着にあるのは老いさらばえ、人の世話になりながら息をして、最後は死ぬと言う現実。
「ミザリー」で世界中を震え上がらせたキャシー・ベイツの主演作に「黙秘」と言う作品がある。
ある小さな避暑地の島で、若い頃から富豪の婦人の世話をしていたメイドがいる。それがキャシー・ベイツである。
何十年も前の回想シーンでは、富豪の婦人はメイドのキャシー・ベイツに横柄に振舞っている。社会的地位を振り回して、貧しい島の女を完全に見下した態度を取る。
そして、映画での現在。
富豪の婦人はすっかり老いさらばえて、足腰が立たず、メイドのキャシー・ベイツに頼らなければ下の処理もできない。
そして酷い老後の姿に、それまでのプライドも粉々に打ち砕かれて、キャシー演ずるメイドに殺して欲しいと哀願するようになる。
若い頃、どんなに辣腕で人に仰ぎ見られた人でも、老人ホームでは若い職員の世話になって、叱られながら終わるのである。
人生の線表には、そんな人生の終盤が現れらる。
ならば、どうしても人生の線表を最後まで書くのをためらわれるではないか。

■人生と言うフライト

世にポックリ寺と言うものがある。
元気なままで長生きをして、歳を取って身体の自由がきかなくなる前にポックリ逝きたい、そんな願いを持って老人たちが参拝する。
いわゆる、ピン・ピン・ポックリである。
しかし、自分はそんな人生観をそのまま受け入れる気にはなれない。
よく人生は飛行機のフライトに例えられる。
例えば、自分と言う飛行機は50年前に飛び立った。
それから、徐々に速度と高度を上げ、20前後で機首を水平にして巡航速度に入る。
おそらく今は、人生のうちで最も安定して飛んでいる時期だろう。
しかし、そのうち、いろいろとフライトがトラブルに見舞われる。前方に霧がかかったり、気流の悪いところを飛んだり、嵐に遭遇するかも知れない。
そして、「異音がする」と点検した結果、エンジントラブルが発見される。それで、緊急着陸と言うことがよくある。
つまり、体調の不調を訴えて病院に行くと、癌の末期で余命1カ月と言われる。
そうした時、人生のフライトで安全に着陸できる空港はあるのか。
前へ、前へ、少しでも遠くへ飛ぶことに夢中になっていて、さあ降りようと思ったら、下は大海原しか広がっていないではないか。
あとは、エンジンが完全に停止するか、燃料が切れたら海面に激突するしかない。
人生のフライトに於いて、終盤の中の終盤は墜落なのである。
ピン・ピン・ポックリできようが、墜落は墜落である。

■まず、終盤を学ぶ

人生の設計図は、たいてい老後の悠々自適な生活に入るところで終わる。
身体の自由を奪われて、老苦に呻吟するところまで想定する人はいない。
ましてや、臨終まで想定して線表を引く人は絶無である。
しかし、未来に起きる一番有って欲しくない最悪を想定するのが危機管理である。
だから、今海岸沿いの町ではかつてない津波を想定して、堤防を高くしたり、避難タワーの購入に懸命である。
そういう意味では、100パーセントの未来、すなわち辛い老後と、確実な人生の終焉こそ、最大の危機管理の対象たりえないか。

そんな、暗いことばかり考えていたら人生はつまらなくなる、と言われるかも知れない。
しかし、これは人生と言う夏休みに課せられた宿題のようなものだ。
宿題を残したまま、残りの日数が少なくなるとだんだん気が沈んでくる。つまらない夏休みの幕切れとなる。
まず、人生の終盤を学ぶ。
悔いのなく人生を送るために、まずしなければならないことだと思う。