今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

両極端の間、すなわち異端

(写真:駅と夏雲 その2)

■振り子

人間は、どうしても両極端に振れる生き物である。
だから、振り子に譬えられる。
振り子は、右か、左かいずれかに振れる。
ちょうど真ん中でじっとしておれば良いのに、すぐ左右に動く。
例えば、行き過ぎた知育偏重に日本中が反省した時期があった。受験戦争の激化と、子供の深夜までの塾通いが問題にされた。
これではまともな人間形成ができないと、知育以外にも力を入れようにと言うことになった。
そこで、知育に振れすぎた振り子が少し修正されて、ゆとり教育に振れた。
それ自身は良いことなのだろう。
だが、少し極端に振り子が振れ過ぎた。
学習カリキュラムの難易度を極端に下げた結果、子供の学習能力と意欲を削ぐことになった。
そして、世に「ゆとり世代」と揶揄される層が生み出された。
正直この言い方は、ステレオタイプだし、この世代に失礼だと思うが、少なくとも日本中がゆとり教育を反省したのは間違いない。
そして、ゆとり教育に振れた振り子が、知育偏重に振り戻されようとしている。
ただ、今は少子化で受験戦争が余り表面化しないから、少し緩和されている感がある。
それでも、少子化自身が、知育偏重で高騰した教育費の反動と思えば、あまり手放しで喜ぶ訳にはいかない。

■正統派の正体

世に正統派と言われるものがある。
正統で語弊があれば、主流派と言うべきか。
主流派とは、多くの人が正しいと認めたものを言う。
だから、正統派、主流派とは、時代に変わらぬものでない。その時、その時の大衆の都合や、影響力のある人物のプロパガンダで変化するものである。
それと、前段の振り子の話を考え合わせると、正統、主流と支持されるものは、どうしても両極端に現れる。
例えば、「神国日本」と戦争に突っ走っていた時は、「お国のため」に国民が火の玉となって玉砕も辞さぬ覚悟で戦っていた。しかし、国民が全て玉砕してしまったら当然国は滅びる。そうなったら、何が「お国のため」だろう。国を滅ぼし兼ねないプロパガンダに誰も疑問を持たない、そんな時代であった。
しかし、これが正統派、主流派の力なのだ。周り中が熱狂すれば、自分たちは思考を停止してその渦の中に巻き込まれていく。
そして、そんな人間であることは、自分自身も自覚している。

■振り子の反転

それが、戦後アメリカの民主主義教育で、我々の価値観は180度転換した。それを何とか日本国民が飲み込んだのは、行き過ぎた全体主義や軍国主義の反省があったからだろう。そして、一切軍事を放棄して、平和主義、経済第一主義の国づくりを始めた。
軍事面から解放された日本は、その国力の全てを経済発展に注ぎ込むことができた。
これが、奇跡の戦後復興を遂げられた一因になっているのは間違いないだろう。
しかし、国の生き死にを左右する国防を、完全に他国に依存している状況に不安を感じる人もいる。行き過ぎた他国依存による平和主義を憂慮しているのだ。その意味で、振り子がまた逆の方向に振れ始めている。
だが、一切の軍備放棄を訴える平和主義者でなくとも、警戒すべきことがある。それは、振れ始めた振り子は決して望ましい位置では止まらないと言うことだ。
その時その時の都合で、だんだんと逆の極端な方向に振れていく。それまでの振れ幅が大きかった分、また反動も極端である。
それを分かって、軍国化の流れを極端に牽制する人もいる。
それだけ、中道は難しい。

■中道が異端となる不思議

振り子のちょうど中間、つまり中道。
右もほどほど、左もほどほど。
極端に振れていないから、少し考えれば一番良い状態に思える。しかし、この中道が時に、いや往々として異端とみなされる。
それは、そうかも知れない。
振り子は何時も右か左に大きく振れている。
だから、中道は右にも左にも属さない、言わば異端児なのだ。
例えば、鳥羽伏見の戦勝の後、一気に江戸城に攻め入って徳川幕府に止めを刺そうとする薩長連合の当幕軍。そして、薩長何するものぞ、城を枕に討ち死にせんと息巻く幕軍。
ともに、江戸市中での決戦も辞さずの両者に、これでは江戸が火の海になる、諸外国に付け入る隙を与えると憂慮したのが、勝海舟と西郷隆盛であった。
そして、二人は隠密裏に江戸城無血開城を画策する。しかし、それは倒幕、佐幕両者から、ともに裏切りと見なされ、軟弱ものと誹りを受けることになった。
そのため、二人が会談を重ねる間、いつも反対派からは命を狙われていたと言う。

左も生かし、右も生かす、中道こそが正しい選択だとしても、両極端に陥り易い人間からすれば異端児とみなされる。
中道は勇気のいる道である。