今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

責任自分論

(写真:夏の日のグランスカイ その5)

■人に、周りに期待する

自業自得、自分の蒔いた種は必ず自分に生える。だから、幸せになりたかったら、幸せになる種蒔きをせよ、と言われる。
しかし、もし面と向かって、真面目にそう言われたら、我々はなんと返すだろか。
「そんな分かりきったこと、幼稚園児であるまいし、今更言わなくて良いよ。」
殆どの人がそう言うだろうし、自分も例外ではない。
しかし、本当に当たり前と笑って流せるか。

今、あなたは幸せですか?
そう聞くと、この日本では余程の人でなければ、「幸せです」と答えるだろう。
次に、ではもっと幸せになりたいですか?
これも然り。幸せだけれど、それで満足する訳にはまだまだいかない。
ならば、もっと幸せになるために自分に欠けているものは何ですか?
すると、努力精進、勉強、と答える人もいるが、おそらく少数派だろう。
可愛い彼女。
孝行な子供。
高級車。
高い給料。
やりがいのある仕事。
熱中できる趣味。
財産。
地位。
名誉。
健康。
それら、全て自分以外のものが列挙される。
それだけ我々は、幸せの要素は自分以外にあると思っている証拠である。
逆に言うと、自分が幸せになれない時に、自分以外に理由を求める。

例えば、意思の疎通のできない隣人。
我々の心はどちらに向かうか。
「あんな言い方しなくても良いのに」
「もうちょっと愛想よくすべきだ」
そう相手が変わることをひたすら願う。
ただ、相手ばかりに期待して、状況が変化するはずがないから、恨みばかりが蓄積される。
自業自得が腹に落ちていたら、まず考えるのは自分の言動である。

販売が難しい製品。
値段が高いとか、機能が今一つとか。
不具合が多いとか。
いろいろ理由はあるだろう。
もちろん、ダメなものをダメと見るのは賢明である。
しかし、製品や顧客、マーケットに期待しているうちに、考えることをやめていないかと反省される。
誰に見せても、目の色を変えて飛びつくものを探している。しかし、そんなものはありしない。
自分の頭で、この製品のこの機能で、この価格帯で嵌るマーケットはないかと考えているか。

成功者に群がりおこぼれを拾おうとする。占いやパワースポットで運気を上げようとする。
全て、自分以外の何かが幸せを運んで来ると思っている証拠である。

■潔いと言うこと

こんな自分だから、繰り返し「責任自分論」と言う言葉を教えられる。
何故、上手くいかなかったのか。
理由はいろいろある。
製品に不具合が多かったからだ。
チームのスキルが今一つだったからだ。
顧客の予算感に合わなかった。
希望納期のスケジュールに対応出来なかった。
手強いコンサルが入っていて、厳しい要求をされた。

しかし、これら一切、自分以外の要因である。ここに、「自分の努力不足」と言えるのは相当の人だろう。
要は、自分は頑張ったけど、どうにもならなかった理由、つまり言い訳を探しているのである。
ただ、上手くいかなかった要因を分析するのは、一時的な追及をかわすためでない。
上手くいかなかった要因を挙げて、次上手くいくにはどうしたら良いか対策するためである。
当然、自分が主語になる。
製品の不具合→自分が事前に確認すれば良かった。
チームのスキル不足→求められるスキルを事前に設計して、チーム作りをすべきだった。
顧客の予算感→事前に予算感は調査出来なかったのか。予算に合うように提案の調整をすべきでなかったか。
希望納期に答えられない→優先順位の聞き取りや、分納など、顧客の運用に合うようにギリギリの調整をしたか。
手強いコンサル→コンサルが妥協できるメリットある提案はできていたか。

全て、自分が主語である。
責任自分論なのだ。
人の所為にしないから、潔良い。
しかし、人の所為にしないのはシンドイ。
でも、気がつくように、失敗での気づきはキチンと拾っている。
そして、同じような案件では、その経験が生きて、成功する確率は上がるだろう。
つまるところ、得をするのはどちらか、自明である。

■過去は変えられないけど、未来は変えられる。人は変えられないけど、自分は変えられる。

なんでも、責任自分論で反省するだって!
どこまで、ストイックで、聖人なんだ。
人間業ではない。
よくそう言われるし、またその身になれば、自分もそう言うだろう。
自分は悪くない、そう強く言い立てれば、周りは認めるかも知れない。
だが、事実に反して、自分の思いを通しても、表面だけのことで、所詮パワーゲームである。
より声の大きな相手が来たら、理不尽でも涙を飲むことになる。

また、口に出して言わなくても、周りや相手に対し腹の中に秘めている思いはこうである。
「もう少しなんとかならないか」
「あと少し気遣いをして欲しい」
いくら心でそう願っても、願っているだけでは状況は変わらない。
たまたま相手や周りの方から変わることはあるが、確率としてはかなり限られるだろう。
確実に変わることができるのは自分だけである。

前に問われた。
「あなたにとっての幸せとは、どういうことですか?」
その時の自分の答えはこうだった。
「今、良い種蒔きができること」
今一時的に恵まれていても、怠惰ならば、未来は暗くなる。
今一時的に不遇でも、良い種蒔きができていれば、未来は明るい。
未来は現在の延長であり、今が作り出している。
そして、自分から進んで良い種蒔きをすれば、必ず明るい未来が訪れる。
ただ、種が芽を出すまで、早い遅いがあるから、なかなか芽が出ないと、種蒔きが無駄に思えてならない。
だから、皆んなすぐに結果を求める。
自分以外が変わることを期待する。
しかし、そんな儚い期待より、自分が変わる方が遥かに確実である。
そう思うからこそ、責任自分論は腹に落ちる。
後は、弱い自分の心に負けないように実践するのみ。