今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

結果で語る

(写真:夏の日のグランスカイ その4)

■愚かな息子

あるところに愚かな息子がいた。
ある時、知人が3階建の家を新築したと言うので、招かれていった。
そして、3階に登らせてもらって驚いた。
村が遠くまで一望できるではないか。
それで、すっかり気持ちをつかまれてしまった彼は、自分も3階建の家が欲しくて堪らなくなった。

親の資産を受け継いで、潤沢な金を持っていたその愚かな息子は、知り合いの大工の棟梁を呼んで「金に糸目はつけないから、3階建の家を建ててくれ」と依頼した。
棟梁も早速職人を手配して、3階建の家を建てる準備に取り掛かった。
それから、1ヶ月後。

毎日、3階建の家が出来るのを心待ちにしていた愚かな息子、もう大分出来上がったころだろうと、ワクワクして現場の検分に出かけた。
ところが、現場では多くの人が忙しく働いているが、3階どころか、まだ皆んなして地面を掘っているところだった。
それで、すっかり腹を立てた彼は、大工の棟梁を呼んで叱りつけた。
「お前は、何をやっているのだ。なぜ3階を建てんのだ。」
棟梁は畏れ入って答える。
「今は、基礎工事をしていまして。3階建のような大きなものを建てるには、相当しっかり基礎工事をして、その上で1階、2階と建てねばなりませんので。」
しかし、愚かな息子は、ますます腹を立てて、「基礎はどうでも良い、1階や2階もだ。俺は3階が欲しいと言ったのだから、まず3階を建てよ。」
それには、その場にいた一同が呆れかえってしまったと言う。

■3階とは

これは寓話である。
そして、この寓話は最後「どれほどの人がこの愚かな息子を笑うことができるだろうか」と結ばれている。
この愚かな息子を指差して笑っている我々こそ、実は同じ愚か者なんだよ、と言われているのである。
しかし、そう言われても、「はて、いつ3階を建てようとしたのか」と一向に自覚がない。

ならば、身の回りで日頃不満に感じていること、面白くないことは思い返してみよう。
例えば職場なら、社内の皆んなは、同じ部署の同僚ばかりに聞きにいく。
なんだよ、俺も分かっていたよ、とツンボ桟敷に置かれたガッカリ感が身を苛む。
社内の評価が低いことに腹が立つ。

あるいは、いつも成果を上げてくる同僚。
なぜ、お客さんは彼ばかりを頼るのか。
もちろん、お客さんの評価だから文句を言っても所詮はないが、もっと俺の仕事の中身を見て欲しい、と愚痴が出る。

家庭ならどうだろう。
以前、自衛隊の上級幹部が、妻の見送りの一言がなかったことに腹を立てて、自宅に放火、可愛い我が子4人を焼死させる事件があった。
隊では、多くの隊員から仰がれる立場である。その感覚が当たり前になって、家庭内でもそれを押し通そうとした。しかし、家までそんな丁重な扱いを期待するのは無理である。
職場で多くの人から尊敬されていても、家庭での評価は別物と考えるべきだろう。何故なら、奥さんにとって旦那とは、家で布団さえ畳まない、衣服を脱ぎ散らし、汚れた下着を洗わせるだけの存在だから。

これら、一言で言えば、偉い者と思って欲しい、頼りになる者と思って欲しい、つまり、評価が欲しい根性が丸出しである。
野球選手の年俸や、俳優のギャラなど、ある一定額を超えると、それは生活の糧より評価のバロメーターの意味合いが強くなる。
それほど、我々は周りからの評価を求めているし、評価を得られないと不満に思う。腹も立つ。
金銭や生活の不安以上に、自分に対する評価が足らないことが身を苛んでいないだろうか。
つまり、寓話の3階とはこれである。

■正しい順番、結果、そして評価

もの事には順番がある。
健康は、毎日の規則正しい生活があって作られる。
仕事のプロフェッショナルになるには、まず場数を踏んで経験を積み、実績を残すことだ。
人に好かれようと思ったら、まず自分から好かれるような言動に努める。
有名な俳優になるためには、演劇技術の習得と、下積み時代の修行をする。
ものを買い求めようと思ったら、まずお金を払わねばならぬ。
3階を建てようと思ったら、まずは基礎、そして、1階、2階と順番に建てていく。

皆んな分かりきったことである。
特別なことは一つもない。
ならば、人からの評価も同じでないか。
努力も実践もしないで、人から評価して欲しいと身勝手に要求していないか。
いや、僅かばかりの実践ではダメである。
長い雌伏の時期に耐え、じっと実践を重ねる。もちろん簡単には結果はでない。
しかし、その日の当たらない場所を過ぎて始めて、日の当たる場所へと至る。
結果となって現れる。
そうしたら、求めなくても評価はついてくる。

丁寧な言い方をして欲しい。
ちゃんと敬語を使って欲しい。
偉いものと思われたい、
頼って欲しい。
頑張ってるねと言って欲しい。
気持ちを汲んで欲しい。
これら、周りの人の言動によって、揺れ動く自分の心である。
その源は相手の自分に対する評価である。
どうしたら、自分の評価を上げられるか。
それには、正しい順番がある。
実践、結果、そして評価である。
評価が得られず悔しい時、より真摯にひたすら実践である。