今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

心に言葉があふれる

(写真:夏の日のグランスカイ その3)

■一人ぼっちで寂しくて

今の人はどうだろう。
皆んなと集まっている時に、輪から外れてポツンとしていたら、寂しくはないのかな。
それとも、現実の人間関係に気を使うのは煩わしいから、スマホや携帯に居場所を求めるのか。
前、公共施設で係りの人と話をしながら、同時にラインに返事を返していた人がいた。
目の前に喋っている人がいるなら、そっちが優先だろう!と思うが、その人にとってネットでの人間関係は、それにも増して優先すべきなのかも知れない。

クラスとか、同窓会とか、会社の打ち上げとか、気の合うもの同士は、ワイワイ輪を作る。しかし、そこからどうしても外れる人もいる。
すると昔は必死になって話し相手を求めたものである。なんか、一人浮いていると寂しくて、なんか恥ずかしくて。
しかし、最近は、結構隅っこで携帯やスマホを見ている人がいる。リアルな仲間なんかいらない。私の仲間はこの中にいるんだ、とばかり。
ネットの友達の輪は物凄く広くて、どんな人がいるか分からないから、結構皆んな発言には気を使う。
だから、リアルより優しいし、居心地が良い。また、一瞬一瞬の関係性だけで、後は気を使う煩わしさもない。

■登場人物たちとの会話

自分は大人だから、人が集まる場所で、その人たちを無視して、スマホを見ていることは許されない。目の前に人間がいれば、そちらが優先しなければならない。
でも、ある程度まとまった人数で集まると、どうしても輪から外れる。それは、自分の難のある性格によるものだから仕方ない。
しかし、例えば飲み会なんかで、方や物凄くワイワイと盛り上がっているのに、一人ポツンと枝豆をつまんでいると寂しい。
いや、寂しいと言う感情より、なんか恥ずかしい。
かと言って、スマホの世界に埋没するのは、明らかにルール違反である。
要は、一人ポツンとしていても、寂しさや置き去られ感を持たなければ良いのだ。
もっとも、そうは言っても感情はうまく反応してくれない。

それでも、少し器用にこなせるようになったかな、と思うのは、下手の横好きの小説を書くようになってから。
よく漫画家が、「勝手にキャラクターが動きだして、後はそれを紙に落としているだけ」と言っている。
「へえ、そんなもんかな」と思っていたが、実際自分もストーリー作りに熱中してくると、今つきあっている登場人物が勝手に喋りかけてくる。
心の中に、次はこう喋る、その次はこう喋る、と会話が溢れてくる。
これが、小説や漫画の醍醐味である。
どんなに下手くそで、お金にならなくて、しかもひどく笑われても、どうしてもこの趣味が止められないのは、登場人物たちとの会話が楽しいからである。

■心の中は賑やかな世界

だから、今自分は一人が気にならない。
夢想家、妄想家、世間ではいろいろと言うだろう。
しかし、自分はいつも心が賑やかなのだ。
一人で寂しいと言うことがない。
リアルで会っている人のこと、小説の登場人物との会話、いつも投稿している文章の草案。いつも、心の中を飛び交っている。

どちらかと言うと、人付き合いは下手かな。好かれる方でないし、進んで友達を求める方でもない。一人が好きで、だからか面白い人間でもない。
世間は、変わった奴、孤独な奴と評価するかもしれない。
でも、自分は一人で心が賑やかなのだ。
人と一緒にいなくても良い。
そして、いつか人は一人ポツンと置き去られる。
そんな時に、寂しくて心が潰れてしまわないで済むのが有難い。
自分は、一人でも結構賑やかなのだから。