今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

奪う場所でなく、与える場所

(写真:夏の日のグランスカイ その1)

■わが疲弊戦

周りが頑張っていると、自分だけ取り残されているようで寂しい。
いっそ失敗してくれたなら、とさえ願う。

人間の本質は愚痴。
自分の努力不足を棚に上げて、人の成功が妬ましく、人が失敗すると安心する。
そうやって、一生懸命自分が怠惰であって良い理由作りをする。
この浅ましさは何としたことか。

かつて、野村克也氏は、監督と選手を同時にこなすプレイングマネージャーを務めていた。
しかし、監督の重責と、年齢による体力の衰えで思うようなプレーができなくなった。
そして、自分ができない分、仲間の失敗まで願う心が現れ始めた。
「これでは、いけない」
野村氏は、そう思って選手からスッパリ引退している。
なんと、純粋で、潔い人だろう。

それに比べ自分は、そんな思いをずっと野放しにして来た。
自分だけが評価されるにはどうしたら良いか、自分だけが目立つにはどうすべきか。
そして、時間ばかりが経ち、結局何も残ってはいない。
疲弊したばかりである。

■共同作業の場

会社は共同作業の場である。
自宅から通信をしながら業務をこなすテレワークの時代になっても、一番大切なことは社員同士のコミュニケーション。テレワークを開始するに当たって、遠距離間でも会話をスムーズに成立させるツールの導入は欠かせない。
会社からは、社員同士が力を合わせて、個々を超えた力を発揮することを期待されている。その為に、職場と言う一つの空間を与え、共同作業を行わせる。
そこで、自分だけの利益に固執していたり、自分の世界に閉じこもっていたら、用意された一定の評価やリソースを奪い合うだけの場所に堕するのではないか。

会社の用意するリソースとは、それを使ってさらに大きなビジネスをする為の糧である。
言わば、米を収穫する為のモミ種である。
もし、農民たちが、米を作ることを忘れて、争ってモミ種を食べてしまったらどうだろうか。それでは来年以降の糧は永遠に失われる。
だから、モミ種を蒔いて生育し、米を実らせ、収穫する。

しかし、米作りは共同作業である。
折れる所は折れ、頼むべき所は頼み、骨を折るべき所は労を厭ってはならない。
そして、これは会社も同じである。
与えられたリソース、すなわち、業務時間、作業場所、機器、資金を糧に、さらに未来の糧を生み出すのだ。
そこで、自分の世界に閉じこもっていたら、会社から与えられたリソースが生かされることはない。

■与え合う場所

共同作業の場、言い換えれば与え合う場所である。
自分の知識を、自分のスキルを、自分の経験を、自分の権限を、自分の労力を与え合う。
自分の与えた労力やアイディアで、仲間が成功する。上司から評価される。
それも良し。

目的は、限られた会社のリソースの中で、どう自分の分け前を増やすかではない。
そのリソースを使って、更にどう大きな未来を育てるか、である。
仲間が成功する。
抜擢され、出世する。
それは、会社が大きく成長するための必然的なプロセスなのだ。
会社が成長するからこそ、自分の環境も大きく変わる。
自分の収入を増やしたいと思ったら、考えるべきは、どう仲間を出し抜くかではない。
どうしたら、全員の収入を増やせるかなのだ。

だから、全員体制となる。
共同作業となる。
自分の大切なリソースを使って下さい、となる。
与えれば、また与えられる。
自分の夢への賛同者が多くなる。
進んで巻き込まれてくれる仲間が現れる。

大切なのは自分の評価ではない。
奪うことではない。
与えあえる、そんな職場が素晴らしい。