今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

自分の頭で考える

(写真:一直線)

■答えは与えられない

学生時代は、必ず問いには答えが用意されていた。
そして、正しい解答と同時に、正しい解法もあったものである。
つまり勉強とは、その解答なり、道筋を学びさえすれば良かった。

しかし、社会に出て驚いたのは、問いにはほとんど答えがない、と言うこと。
しかし、分からんなりにやらなければならないので答えを出してみるが、その答えはあっさりダメだしされる。

なんだ、分かっているなら最初から教えてくれたっていいじゃないか。
そう愚痴もでるが、ダメなりに答えを出さなければ、判断もして貰えない。
なぜなら、上司、先輩だって、答えが分かっているわけじゃない。
ただ、遊んでいて給料は貰えないから、仕事を割り当てられ、自分で考えてみよと、背中を押される。
そして、形にすることができるのは、時間を与えられて、その仕事に向き合った人間のみ。
不出来ながらも作ってみて、始めて先輩上司の手が入り、少しずつまともな形になっていく。

つまり、最初から答えは与えて貰えないし、また、答えを出せるものでもない。

■マニュアルの弊害

本来、仕事とはそのようなものだと思う。
しかし、最近は答えが最初から出ていて、しかも僕らがそれに慣れてしまった傾向がある。

一つは、マニュアル。
現場で先輩が学んだ経験や知恵を、ドキュメント化して、社員が誰でも閲覧できるようにしたもの。
そこには、現場での正しい振る舞いが全て書かれている。つまり、どのような行動をしたら良いか、答えが全て出ているのだ。
逆に、それに反する行動はNG。
息苦しくもあるが、考えたり悩む必要はない。

二つには、IT。
先人の経験知を、すべて数式でプログラミングしてくれ、と言われる。
すると、ベテランと同じ行動を未経験者が取れるようになると言うのだ。
確かに、最近の機械学習ならば、先輩の判断を前提と共にインプットすれば、機械が、その先輩の経験知で判断できる。
苦労して、一から身につける必要はない。

三つには、インターネット、あるいはセミナーブーム。
インターネットを検索しさえすれば、知りたい答えには割とすぐに辿りつける。
昔は、新しいコンピューター言語を学習する時は、とにかく試行錯誤の連続だった。それが、業界への参入障壁だった訳だけど、昨今は、ネットで検索すれば、簡単にサンプルが手に入る。
逆に、自分で時間をかけて調べていると、非効率と怒られる。
やりやすいんだか、やり辛いんだか。

同じことが、専門講師によるセミナーブームでも言える。
つまり、成功へのステップやポイントが、それなりのお金で、分かりやすく、短時間で習得できるとあって、勉強好きの人が詰めかけている。
しかし、親切過ぎて、分かりやす過ぎるのが問題。受講しただけで、なんとなく分かった気になって実践に結びつかない。
やはり、知識と身につくと言うことは、別なんだろう。
身につけるには、実践に落とし込んで、悪戦苦闘することが必要である。

これら、低コスト化、効率化が求められる中で生み出された仕組みは、逆に我々から考える力を奪っているのでないかと、危惧される。

■考える力を取り戻す

そう考察してくると、かなり自分も考える力を喪失していると思い当たる。

とかく、命題を与えられると、「情報不足」と口にする。
命題のゴールは?使えるリソースは?関係者の意向は?
それらの情報が一切ないから組み立てられないと文句を言う。
しかし、今思い返してみると、単に答えを欲していただけなんだと恥ずかしく思う。
言い方を変えただけで、「ゴールまで、確実に成功する道筋を作ってください」と言っているに等しい。

あるいは、分からない情報があれば、ひたすらインターネットで調べまくり、たまたまヒットした情報を金科玉条と奉る。ましてや、クロスチェックすらしない。
全く怠惰に慣らされたものである。

果たして、そんな人間に会社が時間を使わせたがるか、非常に疑問である。
我がことながら、非常に危機感を覚える。

命題のゴールは想定する。
リソースは計算して、必要な分要求する。
関係者の意向も聞きとって、その真意を探り当てる。
情報も、どこで取るのが適切か、仮説を立てて実行する。
インタビュー一つ、苦労してやり方を覚える。
まだまだ、怠惰に流されて良い年齢でも、立場でもないはず。
利便性に流されて、すっかりバカになった自分の頭をどう回復させるか、職業人としての急務である。