今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

アスク、さらば与えられん

(写真:ひまわりと鉄塔)

■針箱の中身

ある婦人が著名な博士を訪ねた。
婦人は、ここのところ、やることなす事、すっかり裏目、裏目で、すっかりふさぎこんでいたのだ。

「先生、私、すっかり人生が嫌になりました。すること、すること、みな上手く行かなくて、だんだん気持ちが塞いで参ります。
私のどこが間違っているのでしょうか。」

すると、博士は意外な問いかけをした。

「奥さん、あなたの針箱の中身はどうなっていますかな?」
「針箱?それと、私の悩みと何の関係があるのですか?」
「まあ、一度、帰って針箱の中を見てみなさい。」

狐につままれたような気持ちで、しかし、その博士を心から尊敬していた婦人は、帰宅するや、さっそく針箱を開いてみた。

すると、針山には、乱雑に突き立てられた針と、使った後、始末もされずに突っ込まれている糸の屑を見つけた。
ああ、これはいけない、と針箱の中身をキチンと整え直すと、不思議なことに気持ちがスッとした。
それで、気持ちが少し前向きになった彼女は、他にもおろそかにしていることはないか、家の中を探し始めた。
そして、家の中を整える度に、気持ちが前向きになり、ついには塞ぎこんでいた気持ちがすっかり解消してしまったのである。

彼女は、後日博士を訪問し、彼の見事なアドバイスに対する感謝を述べたと言う。

■問題の核心に投げ込まれる

悩みを抱えて、すっかり気落ちした婦人に対して、博士は一見関係のない投げかけをする。
やることなす事、上手くいかずに苦しんでいるのに、針箱の中身を尋ねているのである。
もちろんその質問は、博士の深い人間洞察から発せられたものなので、婦人の抱えている悩みの本質をついたものだったろう。

しかし、我々は普通このような対応はしない。答えが分かっている場合は、尚更である。
「奥さん、あなた、針箱の中が乱雑でしょう。」
ズバリと答えを投げかけてしまう。
しかし、聞き手の婦人からすれば、本来言って貰いたい言葉(同調、慰め、共感)とはかけ離れた針箱のことを上から目線で言われたら、感情的に反発する。
ましてや、自分の日常生活の態度まで、指摘されたようで、とてもまともに聞けない。

伝えたいことは同じでも、それが婦人の心に届いたのは、一つは質問として投げかけられたからである。
針箱の中身を整理して貰おうとすれば、普通「針箱が乱雑だから整理しなさい」と言う。
しかし、本人の心が外に原因を求めている時に、いきなり内省を求められても、受け取ることは無理である。
そこに質問の形で投げかけられるから、内を省みる機会が与えられ、外に向いていた目が自分の内側を凝視する。
言わば、問題の核心に投げ込まれるのである。

■質問で始まる自己発見

婦人は、質問を受けた時に答えにたどり着けた訳でない。
博士の言葉をいぶかりながらも、一旦自宅に帰り、針箱を開けてみた。
そこで、乱雑に散らかる針箱と対面し、これではいけないと整理を始めた。
自己発見の始まりである。

そして、針箱の整理を終えた婦人は新たな段階に進む。
針箱の整理により心が変わったのだ。
そして、その心で家の中を少しずつ片付け始めた彼女は、だんだん憑き物が落ちたように軽くなっていく心に驚く。
最後、すっきり塞いだ気持ちが解消した彼女は、そこで始めて博士の質問の意図を理解する。

最初の博士の質問は、婦人に一切の行動を強制していない。
しかし、自己発見の道筋を示している。
優れた質問は、投げかけられた相手に気付きを与え、行動を促す。
まさに、ピッチは巻き込みであり、共同作業への導線である。
博士の質問は非常に優れた質問ピッチだったのだ。

行動を促したい相手がいる。
しかし、なかなか心を傾注させて、こちらの言うことを受け入れてくれない。
そんな時、砂を噛むような味気ない気持ちになって人に依頼することが怖くなる。
依頼下手な自分のパーソナリティは、おそらくそこから形成されてきた。
しかし、まずは相手を巻き込むことを心がけただろうか、反省しきりである。
そんな自分でも、優れた質問ピッチが、道を開くなら是非心がけたいと思う。