今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

問題発見、問題解決

(写真:厩舎にて)

■何が問題か

寄ると触ると、「うまくいかないねえ」「儲からないねえ」「何とかならないもんかね」。
いかに人生は難度海とは言いながら、あまりに愚痴が多すぎる。
ひょっとしたら、自慢の愚痴に仕立てて、社交辞令くらいに思っているのか。

「安保」問題にしても、そう。
軍事的な協力関係を推し進めようと言う政府に対して、積極的に声を上げたのは一部の学生たち。そして、市民団体。
国会議事堂前で、かつてない空前のデモが展開されて、これを見て政府は何の痛痒も覚えないのか、とマスコミの報道も加熱する。

それを見ながら、マスコミと特定団体が手を組んだ茶番だ、とオヤジ連は冷淡である。
これは国の仕組み自体を変えようとする大事だから、もっと我々も関心を持って然るべきだが、残念ながら活動家たちを指を咥えて見ているだけである。
そもそも、こんな世界を作ったのは、我々オヤジ世代な訳だし、いよいよ問題が顕在化した時には、地球温暖化も含めて、子ども世代から酷い恨みを買わないか心配である。

なんてことを考えながらも、実際尻に火がつくまでは動けないんだろうな。
かくて、問題の先送りは、日本人の得意技と揶揄される。

■何が問題か分からないことが問題だ

問題や、困り事を山と抱えながら、その実、抱えこんだままで、時間ばかりが経過してゆく。
人間の危機意識は、いつも時間軸。
問題の軽重は、あまり重視しない。
例えば、半年後に重大なリスクを抱えながら(多額の借財の償還期限が来るとか)、それよりも目の前の問題や欲求の対処を優先する。
かくして、半年はあっと言う間に過ぎる。

人間いつか死ななければならないと分かっていても、毎日生きることに奔走する。
よく法事で耳にする「人間悤々として衆務を営み、年命の日夜に去ることを覚えず」そのままである。
だから、突然襲う無常を前に、全員オロオロする。

問題意識はありながら、その実、何が問題か分かっていないのだ。
ただ、ハッキリとは意識しなくても、問題を放置して行き着く先は何となく分かるので、いつも気持ちの悪い思いに苛まれている。
それを「困った、困った」と口にして、いい紛らわしているだけとしたら、かなり怖い現状である。

■問題発見は、問題解決の第一歩

まず、勇気を持って、何が問題か、ハッキリ認識する。
我々は、目の前にあること、また、近々に危機になることには対処しようとするが、それから先は弐ノ段、参ノ段。
潜在的な恐怖を感じながらも、さも無きが如く振る舞う。
しかし、時間は無情で、我々の意識より早く追いついてくる。
そんな時、もう少しきちんと準備しておけば良かったのに、と口惜しくて歯嚙みをしていないだろうか。

また、取り返しのつかない想定外の直撃は、いつ襲ってくるか分からない。
「あなた、もうこれ以上一緒に暮らすことは耐えられません。離婚してください。」
「今月末で、この部署を解散するから、それまでに身の振り方を考えておいてくれ。」
であったり、
酷いのは、
「癌の末期が見つかりました。あともって一カ月です。」
しかし、これら全てあり得る話だし、また本来想定も可能なはず。
あるいは、気がつきながら意識の下に閉じ込めて見ないようにしていただけでないか。
そして、そのリスクが顕在化しただけでないか。

ならば、一度、全てのリスクを書き並べて見る。リスクの種類、影響度、想定される発生時期や期限、緊急度。
そして、それを線表に落とし混んで、リスクマップを作る。
あとは、逆算して、どのタイミングで何をすべきか、そして、そのためにいつまでに何を実現すべきかロードマップをつくる。
そうすれば、今することがハッキリする。

まず、問題をきちんと認識すること。そうすれば、いろんな問題解決はもはや半ばまで達成されているのである。