少ないと言うフレーム
(写真:地上へ)
参考:ダニエル・ピンク 『人を動かす、新たな三原則』より
■期間限定、数量限定
例えば、マクドナルドの期間限定バーガー。「期間限定、10月だけの販売」
例えば、沖縄だけの限定販売。
「地域限定、紅芋ポッキー」
テレビショッピングの目玉かつ格安商品。
「数量限定、先着50名様だけ」
普通に店頭に並んでいたら、「買わないだろうな」と思うものまで、何かの『限定』をくっつけられると、ついつい購買意欲が掻き立てられる。
ひょっとしたら、企業のロゴマーク入りの懸賞商品や、クレーンゲームの原価100円以下の商品を獲得した時の高揚感も、この『限定』を上手く利用しているのかも。
■「少ないと言うフレーム」
数量限定、期間限定、これら、わざと消費者である僕らに制約を強いるやり方を「少ないと言うフレーム」と言う。
本当は、たくさん供給することはできるし、また、たくさん買って貰えばそれだけ利益にもなる。
それに敢えて「少ない」と言う制約を付ける。
これは消費者に対するプレミア感の演出。
そして「なかなか手に入らない宝物を手に入れられる」と言う宝探しの高揚感の提供。
確かに、どんなに価値のあるものでも、日頃からふんだんにあると価値感は薄れ、あまり利用しようとしなくなる。
芥川の小説に、芋粥に目がないと言う人物が登場する。
しかし、貧しい彼にとっては、高価ではない芋粥といえども、年に数口しか口にできない高嶺の花であった。
ある時彼は、仕えている主人の饗宴の席に混じって、芋粥を食べる機会があった。
そして、ほんのすこしだけの芋粥を飲み干して、「いつかこれを飽きるまで食べたいのう」と漏らした。
それを聞いていた饗宴の賓客が、「芋粥くらい腹一杯食べさせてやろう」と、彼を遠くの宿に招く。
あまりの道のりの遠さに、一瞬気後れをしたが、夢にまで見た芋粥のためと、遠路を超えて招きに応じた。
そして、いよいよ宿に到着し、翌日目を覚ますと、庭には巨大な山芋が積み上げられ、それを煮込むための釜が5つも6つも用意されている。
それを見た彼は、それだけで山芋を飽きるまで食べたいと言う食欲が半減してしまう。
そして、椀に並々と盛ってもらった芋粥を一杯目はなんとか飲み干すことができたが、二杯目のおかわりを聞かれた時は、とても頼む気にはならなかったと言う。
■空気とダイヤモンド
僕らも、もし同じシチュエーションに置かれたら、やはりゲンナリしてしまうだろう。
同じように、テーマパークに連日人が押し寄せていても、近所の人は案外利用しないものである。
いつでも、行けると言う気持ちが、時間を作ってまで行こうと言う気持ちを減退させるのだ。
だから、高級旅館ほど、敢えて不便なところに作っているのは、なかなか行けないと言う希少性の演出だと思うのだが、如何だろうか。
さて、自分も以前「空気とダイヤモンド」と言うショートストーリーを書いたことがある。
売れない時代に子供を出産し、その事実を隠して女優の世界に飛び込んだ主人公。
5年経って、清純派国民的女優の地位を築く。
しかし、同時に、子供を引き取って育てていた子供の父親の死を知らされる。
幸薄い我が子に母親の名乗りをあげるか、女優としての地位を守るか、彼女は悩み苦しむが、最後は子供と一緒に暮らすことを選ぶ。
その時の台詞が、
「私は皆さんにとって、希少なダイヤモンドかも知れませんが、別にいなくても困る存在ではありません。
母親としての私は、普通のどこにでもいる空気のような存在です。しかし、子供にとっては、なくては生きられない大切な存在なのです。
私は、皆さんにとってのダイヤモンドであるよりも、子供にとっての空気でありたいと思います。」
つまり、希少性は、その本当の価値とは無関係であり、しかし希少故に需要を生み出す。
その過熱にいささか食傷気味でありながら、やはり「少ないと言うフレーム」は力を持つ。
真実の価値を見失いたくないが、希少性の持つ力もキチンと意識しておきたい。