今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

人間味を持たせる

(写真:ライトアップ・ツリー)

■レントゲン検査技師の場合

アメリカでは、レントゲン写真をもとに、病気の診断を行う専門の技師がいる。
しかも、ひたすら暗室にこもって、レントゲン写真と朝から晩までにらめっこをする。まるで、ライン作業のようである。
写真を見て、肺がんが疑われるとか、血管の詰まりが認められるとか、非常に没個性的で、非人間的な「作業」をしている。

そこで、一人の研究者がある試みをした。
患者の了解を貰って、レントゲン写真と一緒に、患者の顔写真も表示するようにしたのだ。
すると、驚くべきことに、レントゲン写真を見た技師の、病気の指摘率が格段に向上したそうである。

この記述自身は、少し前のものなので、最近なら機械による画像解析とか、代替手段はあるだろうが、この実験自体は非常に大切なことを教えてくれる。

つまり、レントゲン写真だけ検査していた時、技師にとって、それは無機質な写真でしかなかった。
しかし、顔写真を一緒に表示することにより、レントゲン写真と患者の人生がリンクする。
「ああ、こんなに若いのに、肺がんのリスクを抱えているなんて可哀想に。」
そんな思いが、病気の指摘率を向上させる。単調な作業でしかなかったレントゲン写真の検査に、人間味を持たせるのである。

■商品の後ろに個人として立つ

人間は社会的動物と言われ、他者とのつながりを重視する。
だから、人間関係がうまくいかないと、ひきこもりになって社会との繋がりすら絶とうとする。それだけ僕らにとって、人間同士のつきあいは重要なのだ。

きれいに印刷されたパンフレットや商品見本を渡されても、その後ろに人間が見えてこなければ、僕らにとってはモノでしかない。
どんなにAIやロボット技術が進歩して、人間以上に作業をうまくこなせるようになっても、決して代替できないのはこの部分。
つまり、人間は人間にしか興味を持てない。

昨今のゆるキャラブームも、県や地域という人間でないものに、キャラクター性を持たせて興味を喚起している。そこまで考えて行われているかは定かでないが、結果的に人間の人間に対する興味を利用して成功した一例。

また、最近、よく見かけるのが、似顔絵入りの名刺やパンフレット。
会社や商品と言う無機質なものの後ろに、パーソナリティを持った人間がいることを意識させてくれる。
そこから、会社や商品が人間味のあるものとなり、興味の沸き方が変わる。

タクシードライバーは、運転席の後ろに、名前、顔写真を掲示している。
おそらく個人名を明らかにして、お客さんに親切な対応を促す効果があるのだろう。
ところが、最近乗ったタクシーには、ドライバーの個人的な趣味や、好きなものまで掲示されていた。
確かに、タクシーに乗った時は、一緒に一つの空間に閉じこもり、命を預ける訳だから、考えようによっては、そこにもの凄く濃密な関係性が発生している。
なのに、相手は基本的には得体の知れない人。ただ、業者さんだから、滅多なことはなかろうと、一応納得している。
そこに、ドライバーの人となりが示されると、安心感もでるし、相手に興味も湧く。
それに、相手も自分と同じ人間だと想像できるから、「こんなことを言ったら気分を害するかな」とお客さんのマナーも良くなるに違いない。

■Facebookの効用

ビジネスの現場では、慣習的に業者もお客さんも没個性的で、無機質なつきあい方をしてきた。
業者からすれば、お客さんとは目の前を通り過ぎるその他大勢の一人。
お客さんにしても、目の前の業者は、没個性的な、言わば店の備品の一つ。
だから、ついつい慣れで細やかさを欠いた対応をするのだし、お客さんも、業者に対して、ついついぞんざいな言い方をする。
顔見知りならできないことが、お互い無機質な関係性の中で罷り通る。

もし、自分の人間味を事前にアピールできたら、お互いの関係性はかなり改善されるだろう。
そう考えた時、Facebookの本当の価値に気がつく。
そう、Facebookとは、自分の人間性を広く発信するツールなのだ。
よく知り合いの投稿を見ていると、お互いつながっている人同士が初顔合わせから、もの凄い親近感。
まるで、長年来の同級生が訪ねてきたようである。
業界も、地域も違う人同士、普通なら一生ご縁がなかったかも知れない。
でも、Facebookで友達になって、畏まっている場で見せない人間味に触れるから、時空を超えて親近感が増す。
ビジネスでお世話になる時も、相手の人となりが分かっているからスムーズに関係を作ることができる。
Facebookでの、一見ビジネスに関係のなさそうなプライベートの近況報告にも、実はたいへんな影響力があると気づかされる。