今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

価値はまず自分自身が信じ抜く

(写真:青空ハイウェイ)

《フラフラするな、みっともない》

「大きくなったら、絶対パティシエになるんだ。」
朝のテレビドラマを一生懸命見ていたウチの子供、すぐに影響されて口走る。

ところが、親は割と真剣に受け止めるものだから、
「パティシエになるんだったら、あそこの店が有名だから、早くから修行に行ったらどうだ。」
とか
「料理の手伝いをしておかないと、いざパティシエになろうとしたら困るだろ。」
とか要らぬ世話を焼く。
それで、子供も迷惑がって、
「もう、パティシエはいいわ。」と言い出す。

親の身としては、大学卒業間際まで将来のビジョンを決めかねて、結局泣かず飛ばずの人生を送っている苦い経験があるから、子供には同じ轍を踏ませたくないの老婆心が起きる。
しかし、それは大人だから分かることで、子供にしてみれば、そんな大人目線を押し付けられたら完全に有り難迷惑。

子供なんて無責任なものだし、責任はだんだんと冷や汗をかきながら自覚していくもの。
責任なくフラフラできるのは、子供の特権。

しかし、いい歳をした大人がこれではみっともない。
5年後、10年後のビジョンを聞かれて口ごもるようでは、「みっともない、フラフラするな」と叱られる。

《人は都合よく持ち上げてはくれない》

自分だって、ひとかどのものになりたい。
こんな事業を立ち上げてみたい。
だけど・・・、
「周りが」
「会社が」
「顧客が」
「マーケットが」
邪魔をするんだよ、と口をついて出る。

しかし、ブログ一つとっても、世の中はそうそう都合よく持ち上げてはくれない。
「ブログ始めました」と、ブログ開設当初はサイトの紹介もあって、何人か、何10人か面白がって見にくる。
それで、少し気をよくするも、回転オープンの熱気はすぐに冷め、ポツンと一人取り残される。

そこで、初めて気づく。
人が人に興味を持つと言うのはたいへんなエネルギーなんだ。
だから、都合よく世間は自分にエネルギーを振り分けてくれないんだ。
もし、世の中の興味を引こうと思えば、自分がある程度の著名人か、もしくは圧倒的なクオリティを提供するか。
しかし、今はどちらとも、縁がないので選択肢は二つしかない。
一つは、あきらめて撤退するか。
二つは、長いトンネルを覚悟してやり続けるか。

そして、長いトンネルを覚悟したら、ひたすら継続的に無駄とも思える作業を繰り返さなくてはならない。

《長いトンネルを進む覚悟》

友達にカミングアウト。
「俺、実はブログやっているんだよ。」
「へえ〜」と一応感心して貰えるが、次の言葉は、「読者どれくらい?」
「えっと、2、3人かな。」
口に出して言わなくても、「なあんだ」が顔に現れている。
確かに、今時、 ブログを書く人間なんか珍しくもない。
ハッキリ言えば、昔で言うところの日記代わり。自分で書いているだけでは虚しいから、人にも見て貰おうという自己顕示欲を満たすもの。

もし、ブログを縁にひとかどのものになろうと思えば、長いトンネルを進む覚悟が必要。人に期待せず、ひたすら自分のクオリティを高めるプロセスが必要。
だから、自分にとっての最高の読者は自分だし、最高の批評家も自分。
一番厳しいことを言うのは自分だし、一番価値を信じ抜いているのも自分。

何事もこの習いで、本業であれ、趣味であれ、ひとかどになる道は長いトンネル。人の良い評価や、追い風が吹くのは期待できない。
だから、まず自分自身が価値を信じ抜いて、長いトンネルを進むしかない。