今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

欲目大敵

(写真:大滝渓谷 その2)

《見えているようで、見えていないもの》

「止めて、それ以上やったら死んでしまうわ。」
「心配ない。俺の身体は、俺が一番よく分かっている。」

子供の頃見たアニメで、よくこんな会話が交わされ出ていた。
でも、(大丈夫かな、この人)と思っていたら、案の定次の回では夕日を浴びながら死亡。
やっぱり死亡フラグが立っていたか、と子供心にやけに納得。

そうなんだよね。
「自分のことを一番分かっている」ほど、あてにならないものはない。
よく分かっているつもりで、一番分かっていないのが自分。
人のことなら的確に意見するクセして、なぜ、自分のことは目を眩まされるのか?
それは、「欲目」。
例えば、ちょっと身体の調子がおかしいなと思っても、自分で「癌かも」も認めるのはかなり勇気がいる。
だから、胃炎だとか、疲れが溜まっているからとこじつけて、良いように良いように見る。最悪の想定から目をそらす。そして、いよいよとなるまで、病院に足が向かないから結局手遅れになってしまう。

正しい自分の姿を眩ませるから、欲目は怖い。

《イタイ人の発生原因》

欲目、一言で言えば、自分で自分のことを批判的に見ることができない、誰もがかかっている心の病のようなもの。
「いや、自分はきちんと自分のことが見えている」と反論する人がいるが、少し自分の言動を思い返してみよう。
例えば、混雑した電車に乗り込もうとした時、入り口付近に立ち止まっている無神経な人間に無性に腹が立つ。
しかし、自分が先に電車に乗り込んでいる立場だったら、自分こそ入り口付近を塞いで顰蹙を浴びている張本人ではないのか。

トイレの鏡の前で、懸命に髪型を直している男子。右や左、ハネの角度まで調整に余念がない。それを見て「あ〜あ、そんなに一生懸命直しても、もとからの面相に対して影響ないのに。」と怪しからんことを思っている。
しかし、そう言う自分が、鏡の前でせっせと身繕いに余念がない。
ならば、なぜ人はダメで、自分なら良いのか。

あるいは、平気で人の悪口を言っている自分。なんか、人を批判することで偉いものになった気になっている。
しかし、言った以上は、必ずツケが回って、どこかで誰かが自分を酷く言っている。
もし、それが耳に入ったら、途端に食欲がなくなったり、酷いときは寝込んだりする。
なぜ、自分が言うのは許されて、人が自分を言うのは許せないんだろう。

みんな、どこかで自分自身を実態以上に良く見てるし、許してもいる。
それが欲目。
自分の姿を美化してしまうから、明らかに似合わない服を着ていても平気だし、中身が無くて口だけ一人前でも恥ずかしいと思わない。
周りから見ればイタイ人、でも自分でそう思わないのは、脳内で自分がイタくない自分に美化されているから。

我ながら、実に困った病である。

《ビジネスはむしろネガティヴに》

人に笑われているうちは、実害がないと言える。
しかし、仕事の場では、この欲目に気をつけないとたいへんなことになる。

たまにお店に入ると、なんか雰囲気が暗くて、商品も美味しそうに思えないところがある。
正直、次からはもういいかな、と思うから、客足は遠のくばかり。
こんなお店の死活問題を何故放置するのかと思うけど、お店の人は至って平気。
何故なら、かなり少ないながらお客さんもついているし、自分でもこんなもんかなと許している。
自分が見えていないのが原因。つまり、これも欲目。

こんなもの。
自分なりに満足。
精一杯やっている。
自分の中で正解。
・・・でも、結局判断して選ぶのはお客さんだと言うことを忘れている。

あくまでも、ビジネスは自分以外が基準。人からどう見えているかが大切。
そこに自分の欲目を持ち込むとおかしくなる。
だから、僕らは、ビジネスにはネガティヴな視点を持たなきゃならない。
自分で、自分にイジワルが言える。これは大切な才能。
そうでなければ磨かれない。
欲目に負けて、自分たちを許したら、ビジネスは止まる。

・・・と思う。