今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

明らかにみる

(写真:夕景 その1)

《明らかに見ると、アキラメル》

「あの子、別に悪い子じゃないんだけど、お前とは縁がなかったんだよ。だから、いい加減アキラメろよ。」
振られた友人を慰める時に言うこんなセリフ。

「アキラメル」

落とした財布をアキラメル、縁がなかったものとアキラメル、事業の継続をアキラメル。

「そうだな、俺もいい加減前に進まなきゃ。」
「そうそう人間アキラメが肝心。」

アキラメル、漢字で書くと、「諦める」。
これは、仏教の「諦観」から来た言葉。
現代語訳は、「アキラカニミル」で、現在起きている事象が、なぜこのような結果になったのか、その原因を「明らかに見る」と言うこと。

そして、「アキラカニミル」が、「アキラメル」に訛った訳だけど、一般に使われている「アキラメル」には、あまり前向きなイメージがない。
「アキラメが早い」とか「アキラメ主義」とか。
原因の追究どころか、原因の追究を途中で中断することを、「アキラメル」と言っている。
これは、本来の「諦観」の意味とは真逆だし、「アキラメが悪い」という言い方自体、本来の意味から矛盾している。
なぜならば、途中で投げ出さずに、キチンと原因を追究するのが、「諦観」だから。

《明らかに見る、は人間の価値そのもの》

人間を他の動物に対して、万物の霊長(もっとも人間だけが言っているんだけど)たらしめたものは、この諦観の能力。

犬や猫なら頭を叩かれれば、「キャン」と鳴いて逃げだすのが関の山。でも人間ならば、「どうして叩かれたのだろう」「叩かれずに済むにはどうしたら良いだろう」と考える。もっと言えば、原因と対策を考える。

多くの同房を殺す疫病に対して、この疫病はどういう人がなるのか、いつなるのか、どこでなるのかを考える。確かにペストが蔓延していた頃は、病気の拡散を防ぐため、村ごと焼き殺したり、野蛮なことをしていたけれど、それをしなければ周辺が全滅していた。
ただ、そこに止まらず、病気の正体そのものをひたすら追究した。そして、今日、人類はペストを克服している。
こんな医学の進歩も、人間が「諦観」に従って、ひたすら事象の原因を追究したから。

その他、科学、経済、政治、スポーツ、学問、全て「諦観」でないものはない。
「諦観」、つまり、原因を「アキラカニミル」まで追究することが人類の価値なのである。

《どんな自分もアキラメル必要はない》

今の自分を作っているものも、やっぱり自分の原因。
なぜ、今の自分の環境が生み出されたか、ブロセスをアキラカニミル。
万年平社員、うだつが上がらない自分は何が原因?
メタボで、階段を上る度にふうふう言って、血糖値もコレステロール値も高い自分は何が原因?
でも、今の自分にがっかりする必要はない。人生をアキラメル必要はない。

この自分を作ったのは、やっぱり自分だから、その原因を「アキラカニミル」。
やっぱり、仕事に自主性がなかったり、自分勝手だったり、仕事のツメが甘かったり。そもそも適正がないかも知れない。
メタボなら、外出でカロリーが高いものばかり食べているからとか、休みに家でお菓子を食べてゴロゴロしているからとか。

原因がアキラカになれば、後はそこを直すだけ。
確かに、みんなより周回遅れだけど、頑張ったら頑張った分だけ、明日は今日よりも素晴らしい。
別に100じゃなくてもいいじゃないか。今度は30、次は50、そして次は80。
人と比べて落ち込むより、自分の中の成長を楽しめばいいんだ。
そして、本当に100になったら、振り幅の分周りが驚くぞ。

「男子三日会わざれば刮目して見よ」である。

もし、自分の中で、原因と結果がスムーズにつながるようになったら、人生楽しくなる。
だから、原因と結果を「アキラカニミヨ」なのである。