今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

心の澱

(写真:田園の巨人)

《油断していると溜まるもの》

水の溜まったコップをそのままにしていると、底にいろんなものが沈んでくる。
少し濁りはあったものの、一見透明な水に実は結構いろいろ混ざっていたんだ、と驚き。
日本の水道水なら、そんな混ざりものはないだろうけど、国によっては、水たまりの水を飲料用に使っているところもあるらしい。
コップに汲んで、しばらく放置しておくと、下に混ざりものが沈殿して、あとは上澄みだけをすくって飲むとか。

流れない水は腐るというけど、水は置いておくと、いろんなものが飛び込んでどんどん汚れる。
汚れは下に沈殿して、それを澱(おり)と言うのだけれど、自分の心にもきっと、こんな澱が溜まってるのかな、と思うことがある。

《ねたみ、そねみ、そして自惚れ》

人間の心も、身体と言うインターフェースを通して、外界に解放状態。
それは、蓋をしていないコップの水と同じ。
チリやホコリや、時には虫なんかも飛び込む。

心には、虫は飛び込まないけれど、代わりに外界のいろいろな事象が目や耳を通して、情報として記憶され、そして感情として反応する。
美味しそうなものを見た時の、色や形、匂い、そこから食べたいと言う感情、食欲が現れる。
綺麗な人を見たら、スラリと伸びた手足に刺激されて、色欲が目を覚ます。
怒られた時、相手の言葉や口調、顔つきから現れるのが、恐れ、怯え、そして怒りの感情。
調子が良かったり、威張っている相手を見た時の、引きずりおろしたいと言う妬み、嫉み。
また、何かの間違いで褒められたりすると、恐縮するフリをしながら、湧いてくるのが自惚れの感情。

こんなのが、どんどん沈殿していくから、そのうち、おかしなことを考え始めたり、言い始めたり、やり始めたりする。
思うに、世の中でおかしなことを始める人間は大抵この心の沈殿物、澱にやられる。
たとえば、実子が誕生した途端、甥の秀次にくれてやった関白職が急に惜しくなり、難癖をつけて秀次の一族郎党ともに抹殺した太閤秀吉。
こんな晩節を汚すような真似は、まともな神経ならばできやしないけど、やはり我が子可愛やの恩愛の情と、最高権力者の自惚れが心に沈殿して、頭を狂わせたとしか思えない。

《だから、たまにはシェイク》

自分たちも、いろんな感情の澱を心に溜まったままにしておくと、やっぱりおかしなことになっちゃう。

世間では、前「イタイ」とか流行ったけど、周りのおだてに乗っているうちに、だんだんその気になって身の丈に合わないことや、周りが眉をひそめる言動をし始める。
明らかに無理な若作りとか、セミナーの受け売りを得意になっていろんなところで喋り始めるとか。
あるいは、相手に対する不当な恨みつらみ、嫌悪の感情。

こんなものは、一度どこかでシェイクして、心の澱を分散した方が良い。
例えば、一度、しっかり怒られるとか、本当に頑張っている人を見て反省するとか。
しっかり勉強して、逆に不勉強を自覚するとか。大きな舞台で恥をかいてみるとか。

そりゃ、一度は頭が真っ白になって混乱もするけど、澱で隠れていた部分が表に出て、見えなかったものが見えるようになる。
それを繰り返して人間は成長するもんじゃなかろうか。
そりゃ、ホリエモンこと、堀江さんも一時はたいへんだったけど、ライブドアショックで人生リセットできたから、今は本物のカリスマの道を歩き始めている。
あれがなかったら、慢心や金銭欲で、結局は晩節を汚したんじゃないかな。

「精出せば 凍る暇なし 水車」

心に澱が溜まらないくらい、アクティブにシェイクして生きたいなあ。