今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

常識を超える

(写真:大きくなったら何になる)

《二天一流》

剣聖 宮本武蔵、彼の立てた流派を二天一流と言います。
赤い羽織を着て、刀を二本下げた自画像が知られていますが、あれが二天一流の構えです。

私たち素人が見たら、ダラリと刀を下げているだけで、構えには見えないかも知れません。
普通構えと言えば、上段に振りかぶっているか、下段から切り上げるために地擦りになっているところを思い浮かべます。
しかし武蔵の構えを剣のたしなみのある人が見ると、どこからも打ち込むことができない、まことに隙のない構えだそうです。

生涯50回近く勝負をして一度も後れを取らなかったと言われる剣聖について、後世の人は「本当に強かった」「実はたいしたことなかった」といろいろと言いますが、一枚の自画像が宮本武蔵の真の強さを語っています。

《二刀流誕生秘話》

さて、その二天一流と言えば、有名なのが二刀流です。
侍は、腰に大刀と小刀の二本挿しています。そして、主に戦いに使うのは大刀の方で、小刀は身動きの取れない場所で使うためでした。
推測するに刀を交えて戦う時は、時代劇のような華麗な剣戟は希で、ほとんどがスピードとバワーの応酬だったことでしょう。当然、一本の刀に両腕の力を集中させた方が相手に対して力負けすることはありません。
そうすると、一本より二本が有利どころか、宮本武蔵のような二刀流のほうが常識を知らない、曲芸的な剣法だったかも知れません。

では、何故、宮本武蔵は、二刀を使おうと思いたったのでしょう。
吉川英治氏の小説や、その後の映画でいろいろな憶測がなされています。

吉川英治氏の小説では、ある時宮本武蔵が宿屋で休んでいる時、遠くの祭り囃子の太鼓の音が聞こえてきました。武蔵が、それを聞きながら「太鼓のバチは二本で扱って、あのような見事な音を出す。ならば、剣も二本を使えば、もっと自在の剣法になるのではないか。」と思い至るシーンがあります。

また、武蔵と鎖鎌の達人 宍戸梅軒との決闘を扱った映画で、苦し紛れに使った剣法が二刀流のもとになったシーンを描いています。
宍戸梅軒は、片手には鎌、もう片手には重い分銅のついた鎖を振り回していました。最初大刀一本で対峙していた宮本武蔵でしたが、宍戸梅軒の鎌を受け止めて刀の動きが封じられてしまいます。あたかも、頭上を襲ったもう片手の分銅で武蔵の頭が砕かれようとした刹那、咄嗟に抜いた小刀で分銅のついた鎖を絡め取って難を逃れます。
そして、その虚をついて武蔵は宍戸梅軒を打ち果たします。
そして、それが宮本武蔵にとっての二刀流開眼の瞬間だったと言うのです。

《常識を超える》

ことの真偽はともかく、二刀での剣を工夫した宮本武蔵は、さらに磨きをかけて、無敵の剣豪の道を歩み始めます。

武蔵の目指したのは、一刀が常識だった当時にあって非常識の剣法です。
おそらくその修練も常識的なものではなかったでしょう。
少し考えても、相手が両手で渾身の力を込める打ち込みを片手で受け止めるのです。しかも、それを左右いずれの刀でもできなくてはなりません。もし力で負けたら、そのまま斬られてしまいます。そのために、並々ならぬ膂力が求められました。
その修練のみならず、二本の刀に神経を巡らして自在に操る技量も必要でした。まさに、武蔵の天才的剣の技量と非常識な修練がなしえた剣技と言えないでしょうか。

宮本武蔵は、一刀と言う常識を超えたいと願い、非常識な二刀の剣法を極めようとしました。そして、非常識な修練と言う活動をしたのです。
私たちも、常識を超えたいと願えば、常識を超えた活動をしなければならないと思います。
蒔いた種に応じてしか、結果は現れないのですから。