今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

煩悩具足

(写真:コンクリートに萌ゆ)

《煩悩に目鼻》

煩悩具足とは、私たち人間が煩悩100パーセントで出来上がっている、そして煩悩に目鼻をつけたような存在と言うことです。

よく煩悩と聞くと、男性の女性に対する愛欲を指して使われます。
以前「ボンノー」と言う名前のグラビア紙を見たことがあります。
しかし、それは色欲と言われるもので、煩悩のごく一部です。
煩悩は全部で108あると言われ、除夜の鐘を108回撞くのは、この煩悩の数から来ています。

「煩悩に目鼻をつけた」と言われるのは、私たちは朝から晩までこの煩悩によって動かされているからです。
例えば、きちんと朝に決まった時間に起きて、身支度をする。通勤電車に乗って会社に出社し、朝から晩まで一生懸命仕事に汗を流す。
帰りは健康の為にスポーツジムに通い、後は明日の仕事に備えてゆっくり休む。
こんなストイックな生活を送っている人には一見煩悩の入り込む余地はなさそうですが、朝起きて会社で働くのも、遅刻して怒られたくないとか、仕事で評価されたいと言う名誉欲からであり、仕事をして報酬を得ようと言う財欲からです。

《三毒》

欲には、他にも、食べる楽しみを満たしたいと言う食欲、ゆっくり寝ていたいと言う睡眠欲があり、前出の色欲、財欲、名誉欲と合わせて五欲と言われます。
煩悩の一つである貪欲をとっても、いかに私たちが毎日これによって動かされているか分かりますし、また無くなったら生きられないものです。
例えば、食欲が無くなり、何も食べたくなくなったらたいへんです。

しかし、煩悩は、煩わせ、悩ませると書くように、私たちにはあまり嬉しいものではありません。
とくに、煩悩の代表格である貪欲(欲)、瞋恚(怒り)、愚痴ねたみ、そねみ)は、三毒と言われ、この所為で悶々としたり、振り回されたり、果ては実際に凶行に及ぶこともあります。
欲のため、我が子に保険金をかけて殺す親あり、嘘をついてまで利益を上げようとする企業あり。
怒りのため、家に放火して、大切な家族を焼き殺す父親あり。
怨みねたみのために、他の人間を巻き込んで、新幹線に油を撒いて焼身自殺する老人あり。
毎日登場する種々の悲惨なニュースは、源流を辿れば、この煩悩に突き動かされでいることが分かります。

無くては生きられない煩悩ですが、この煩悩のおかげで皆んな迷惑して、苦しんでいるのです。

《煩悩との向き合い方》

ですから、古来、この煩悩とどう向き合うかが、人類のテーマでした。
この向き合い方には、大きく分けて二通りあります。

一つは、徹底的に、煩悩、特に欲の心を満たそうと言う向き合い方です。
確かに、欲さえ十分に満たしていれば、それで腹立ち、妬みそねみがある程度抑えられます。
ふんだんに食べ、物質が溢れ、女性も思うまま、皆んなが頭を下げて、いつも快適な場所で過ごしている。
これなら、もう煩悩で苦しむことはないでしょう。
そのため、天下統一を果たした豊臣秀吉の生き様は、まさに欲を如何に満たすかで血道を上げましたし、文明の進歩と言っても、この一点の追求以外にはありません。
おかげで、今は、平清盛や豊臣秀吉、ナポレオンが味わった以上の快適な生活を送れます。
しかし、それで、現代人はこの煩悩の呪縛から解放されたかと言えば、残念ながら、煩悩が引き起こす種々の混迷はますます度を深め、規模も地球全体に拡大しています。

もう一つは、この煩悩がもとならば、一生懸命減らしたり、無くそうと努力する向き合い方です。
古来、修行と言うものは、欲、腹立ち、ねたみそねみをどう抑えるかに集約されていました。
そのため、街からも、女性からも距離を置いて、あまり煩悩が刺激されない山中での修行をしたのです。

私たちも、山の中ではありませんが、会社と言う共同体の中で、一生懸命煩悩の抑え方を学びます。
自分が苦手で、気の乗らないことでも、一生懸命取り組む。お客さんの理不尽な態度にも、精一杯の礼を尽くして対応をする。合わない相手とでも、一生懸命自分を殺して強調する。
これは、とても煩悩を垂れ流しにしてはできないことです。
しかし、欲や腹立ち、そねみねたみの感情を抑えることができたとしても、それは煩悩が無くなった訳ではありません。

自分自身、縁さえくれば、たちまち噴き出す煩悩に愕然としながら、結局煩悩とは減ったり無くなったりする類のものではなく、人や時には自分自身に対して隠しているだけのものなのだと思い知らされます。
後は、その隠し方の巧拙で、人格者だとか、未熟だと言われるのでしょう。

この煩悩は、自分とは不可分で、いつ噴き出すか分からないものです。
それを知った上で、抑えるようにいつも油断なく気をつけるのが、結局は正しい煩悩との付き合い方なのでしょう。