今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

目の前の仕事をきっちりやりなさい

(写真:紫陽花通り)

《なりたい自分とのギャップ》

なりたかった自分と、今現在の自分、そのギャップを思えば、どうしても暗然とした気持ちになります。

まだ、若い頃は良かったと思います。なぜならば、まだ時間があったので、「いつかは俺も」と将来の自分と言うあてにならない空手形を発行して安心できたからです。
しかし、年を重ねて先が見えてくると、着地地点もほぼ予測できるようになります。

ああ、俺もこの程度かと、いつの間にか悲哀を抱えた中年になっている事実に愕然とします。
それに引き換え、世の中には功なり名を遂げた人の多いこと。同級生たちや、昔の同僚も、それなりの責任を担って頑張っているのに、この置き去られ感は、まさに中年の危機ですね。

それでも、なんとかプライドを保っていられるのは、下の境遇の人を見ているから。あの人と比べれば、まだマシと心を強くします。
しかし、その目線も徐々に下がっいく一方で、比例して自分の期待や夢も萎む一方です。

《秀吉との問答》

なんて・・・敢えてネガティヴに書きましたが、人間はそんな自己否定感と、また肯定感を行ったり来たりする存在です。
分かりやすく言えば、自分より調子の良い人を見れば、自分が小さく見えて卑屈になり、自分より恵まれない人を見れば、自惚れて気持ちを強くします。

しかし、よく考えてみたら、どんな凄い人が側にいようが、どんな不遇を囲っている人が溢れていようが、自分は自分です。
それによって本来の価値が下がる訳でも、上がる訳でもありません。

これについて、太閤秀吉と家臣との問答が良い示唆を与えてくれます。

豊臣秀吉と言えば、尾張の国、中村の郷の水飲み百姓から身を起こし、一代で天下を統一し、太閤の官職まで登り詰めた人物です。

果たして、どのようにしたら、こんな人間業とは思えないようなことが可能だったのか。
秀吉の家臣ならずとも、出世を胸に抱いている男性ならば、みな関心があるところでしょう。

ある時、秀吉の家臣がこのような問いかけを秀吉にしました。

「秀吉様は、一代で太閤様まで出世されましたが、私たちとは余程違った心がけをお持ちだったと拝察いたします。できますれば、その心がけをお教え願えないでしょうか。」

《出世の要諦》

家臣は何か、出世のコツや秘訣のようなものがあると思ったのでしょうか。

しかし、太閤秀吉はごくごく在り来たりの、それでいて、私たちがおろそかにしがちの答えを口にしています。

「わしは、太閤になどなろうと思ったことはない。
最初、わしは親方様に、草履取りで召し抱えられたのじゃ。しかし、それでも嬉しくて、なんとかお役に立ちたいと一生懸命務めたのじゃよ

そうしたら、今度は、厩番に取り立てて貰った。これは有難いと思って、また一生懸命務めたら、今度は足軽になれた。やがて、足軽大将、侍大将と、一職を賜れば、その職に夢中で取り組んだ。そうして、やがて姫路一城を拝するまでに至ったのじゃ。」

秀吉の出世の要諦とは、何も特別なことではなく、今自分の目の前の仕事に夢中で取り組んだだけのことです。
しかし、私たちにとって、それが難しいのは、ついつい他に目が行って、気が散ってしまうからです。そのために、今の仕事が疎かになったり、また目の前に注ぐべき力が削がれていまいます。
仕事の内容の軽重に関わらず、目の前に全力投球できたのは、秀吉の最大の才能だったと言えましょう。

そう考えると、人と比べたり、また人が評価してくれないからとむくれている自分がつまらなく思えます。
人は人、自分は自分、与えられたことに感謝して、どうしたらそのプロフェッショナルになれるか夢中で取り組むことなのでしょうね。

NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」には、キオスク店員や左官屋さんのプロフェッショナルが登場し、日本中の賞賛を浴びています。
確かに、その人たちは今流行りの横文字の職業の人ではありません。
しかし、職業の内容に寄らず、その道を極めることが、職業人としての本当の価値であるようです。